言葉は後回し… とにかくヒマラヤの壮大さとその美しさをご堪能ください。
マチャプチャレ
エベレスト
2010年2月8日
午前4時起床。
熱いシャワーで目を覚ますが、若干ボーッとした感じが残る。
7:30の成田エクスプレスに東京駅から乗らねばらず、6:45に眠さをこらえて自宅を出発!
トレッキング前と言うことで、昨日ストレッチとマッサージに出かけたが、すっかり逆効果?!
もみ返しでもともと痛い左踵と両足が歩くのが苦痛なほど痛みを感じる。。。
マッサージなんて行かなきゃよかった。成田にはon-time。
買い忘れの薬、本、追加の傷害保険などの各種処理を終え、キャセイパシフィック(CX)のカウンターでカトマンズまでビジネスクラスのチェックイン!
自身、それなりに海外に出かけているが、こんなに大量かつヘビーな荷物をチェックインするのは初めて。
カトマンズでちゃんと出てくるだろうか。。。。
チェックインアイテムは4点。
出発は9:45。 ブロックアウトはまさにon-time。
CXも定時運行に努力している。
シートに座ると昨日の痛みが全身に広がってきた…バファリンを飲んで少し落ち着く。
香港にも定時着、少し離れた静かな場所にあるドラゴン航空(KA)のラウンジに着くころには全身の痛みもずいぶん和らいできた。(ほっ…)。
結果、青島ビールを飲む余裕まである。(機内でもワインはたっぷり飲んだけど)
香港からカトマンズへはKA136便(バングラディッシュ/ダッカ経由)。
このフライトもしっかりon-timeに出発。期待していなかった機内はなかなか近代的で、欧米のキャリアにまったく引けをとらない。機材はA-330。
ダッカまで5時間のフライト。 シートのおかげで時間は短いが深い眠りがとれた。
余談だが、なんとKA(Dragon air)は現在日本直接乗り入れはないが、この路線、2名の日本人客室乗務員が乗務している。びっくり。
献身的にYクラスの日本人の世話をしているのだろう…。
ダッカ到着。 ドアが開くと熱風が機内に容赦なく入ってくる。
と、同時に蚊の大群も。靴下を脱いでいたので、足元を数箇所刺された…
バングラの蚊? 大丈夫かなぁ~??早くドアクローズしてほしい!
でも、以外?と言ったら怒られるけど、香港から乗り込んできた客数以上にダッカから大量に人が乗り込んできた。 ダッカ-カトマンズ…需要があるのか??とても疑問。
いずれにしてもガラガラだったビジネスもほぼ満席。
カトマンズまでは1.5時間の短い空の旅。もう深夜帯であり、香港-ダッカ間で食事が出ているので、香港からの乗客にはドリンクサービスのみ。僕は水を一杯もらっただけ。
ダッカからの乗客には簡単な食事が配られている。
香港からずっと担当してくれたカワイイキャビンクルーが、降り際になぜか僕にネームタグをはずして、お土産にくれた。 裏にメルアドでもあるのかと期待!! なかった。
でも、どうしてでくれたんだろう(メルアド教えてくれた訳でもないのに…)、しかも正確には会社の備品だよね、これ。。
この路線、20年前にも乗っているが、そのときはB-737-100だった。時代は進んでいる。
これまたon-timeでカトマンズに到着。 気持ちが悪いほど時間が正確で気味が悪い。
20年前、当時日本のODAで清水建設がこの国際線ターミナルを作っていた。90%は出来上がっていて運用し始めていたが、今来てみるとすでにかなりの老朽化を感じる。
メンテしてないと言うか、薄暗いので余計にきれいに見えない。
成田は30年経ってもきれいにしているのに…。国民性?
今回は滞在日数が長いので、30日有効のVisaを入国審査上で申請。40USD。 40ドルとって、シールを貼って、スタンプを押すだけの作業にどれだけ時間がかかるのか??と思うほど手間がかかる。
列の後ろに並んでいる人が空港の外に出るのはいつになるのだろう。
ちなみに、シーズン前とはいえ、Yクラスの3分の1は日本人観光客(トレッカーを含む)である。相変わらず日本人は海外旅行好きである!
現地時間で23時を過ぎている(日本との時差は3時間15分…前回も思ったが、まったく世界を意識していない身勝手?な時差)。
CIQを難なく通過して(荷物は全部プライオリティーで出てきた!よかった~)、空港の外へ!
「XX様」と漢字のワープロで書かれたドライバーと目が合う。
早速トヨタカローラ(エージェントの車)に導かれ、ホテルまで15分のドライブ。
オレンジ色の花の首飾りをしてもらう…(気持ち的にはこの花の色が着ているシャツに染込まないか気が気でない)いずれにしても空港でのピックアップサービスは楽チンである。
深夜にうすくらい空港で、メーターの機能しないタクシーと、行ったことのないホテルまでの料金交渉をするのはきわめて面倒だ。
ホテルに到着! 値段の割り(一泊朝食付きで25ドル)に十分すぎる広さでバスタブつき。
ただ、深夜だと言うのに隣に建設中の建物の工事の騒音がすごい。
いずれにしてもこの騒音については明日エージェントに立ち寄る際にクレームを入れてみよう。
お風呂はお湯の色は赤めだが、湯温はOK! 夜遅いものの、少し街を散策。
20年前と変わらず、街灯のない道だらけで、前から向かってくる人を感知するのは足音のみ。本当に真っ暗なのである。
女性にはかなり勇気のいる散歩になること間違いない。
早々にホテルに戻り就寝。明日は11時のピックアップでエージェントへ、今回の全体をコーディネートしてくれた日本人経営者の春日山さんを訪ね、ポカラ行きのミーティングとガイドとの顔合わせ!
寝際にチェックしたが、携帯はG3が全滅。ブラックベリーもドコモも電話機能以外は使用不可....ん~、厳しい1ヶ月になりそうだ。キツイ…
2010年2月9日
11時にエージェントで春日山さんと初顔合わせ。
便利になったもので、彼女とはメールのやり取りを数回繰り返しただけで、ほぼ1ヵ月のトレッキングスケジュールが決まり、そして今日の日(支払いも含め)を迎えたわけだ。何一つバウチャーらしきものすら自宅に事前に届いたわけでもなく、ただこうしてこのオフィス(と言うには品祖だが…)に訪れることですべてはセットされる。
インターネット時代をまさに感じる。
彼女は想像よりもずっと若く、ハキハキした好感のもてる素敵な女性。
決して美人?とはいわないが魅力的な女性である。
15年前に初めてネパールを訪れて、10年前から移住してエージェントを開設したとのことだ。
日本女性のたくましさをまさに感じるし、多くの現地男性スタッフを巧みに扱い、信頼もかなり高いと見受けられる。
ちなみに、今朝の朝食は一泊25ドルの割には部屋までアメリカンな朝食が運ばれてきた。
そもそも朝食を多くの人数で食するダイニングルームがないホテルようだ。
天気は朝から雨(乾季と聞いていたのに…)、しかも比較的大雨。
普段傘など持ち歩かない(持っていないが正しい)僕が、成田でなんとなく小型軽量の折りたたみ傘をふと思いついて買って、リュックに忍ばせたのが的中!
早速役に立つ。
エージェント(正確には「ヒマラヤン アクティビィティーズ」)には残金1900ドル(日本で10%分は郵貯の指定口座に振込み済み)をTC(TCを使うのは何十年ぶりだろう)で支払い、最初の訪問地アンナプルナ国立公園のトレッキングパーミット(許可証)を引き取る。写真入の証明書で、写真ももちろんメールで事前に送ってあった。
さらに明日のポカラ行き(往復)航空券もゲット。
外は雨、乾季の雨と言うことで、彼らにとっては今日は寒い日なのだそうで(13度くらいかな?)、こんな日には昼にネパール族はヤギの足のスープを食べる習慣があるらしく、現地の女性スタッフがキッチンらしい土間で煮物らしきものを作り始めてる。
「XXさんもよかったら召し上がってくだいさい。」との春日山さんの一言に甘え、早速スープを頂くことにする。
紙を張り合わせた皿に米を茹でてつぶして乾燥させた(と言っていたと思う)麦のような、コーンフレークのようなものが乗せられ、スープを待つ。
スープは辛すぎずにおいしいが、カップにヤギの爪がド~ンと入ってて、毛もそこそことりきれていないものが目前に現れたときはなかなかのインパクトを感じざる得なかった。味は抜群!
このスープと前述のコーンフレークらしきものを手で混ぜて食べる。
実際には外国人である私や一部のスタッフはスプーンを使って食べたけど。少量でお腹がはる。
ところで、ホテルの騒音についてクレームしたところ、5分もしないうちに電話で別のホテルを確保してくれた。
Holy Himalaya Hotel. 実に良心的というか、手際がいい。
12時に一度「騒音ホテル」に戻り荷物を急遽まとめ、Holy Himalya Hotelに雨の中移動。
言い忘れたがカトマンズは一日11時間停電という電力供給規制を受けている。
チェエックイン時も停電中で、エレベータは使えない。
自家発電を持っているがどこまで何に使っているのかは不明。
いずれにしても部屋の電気はつかないし、各種バッテリーの充電もできない。やれやれ。
ポカラ/アンナプルナ方面へは6日間のお出かけ。
その後このホテルにまた戻る。したがって、最初のトレッキングに持ってゆく荷物と、置いてゆく(ホテルに預ける)荷物の仕分けを開始。
そこそこ準備ができたころにはもう夕方(電気はまだない)。
夕食に出かけることにしよう!月並みと言えば月並み、試してみたいといえば試してみたい日本食店へ一応向かう。が、街灯なしの真っ暗な道を手探りで進み、ようやく「おふくろの味」を発見。串揚げ定食と地ビール(Everest)を注文。
串揚げは8本くらいあったが、一部が肉であることはわかったものの、ほかが何の串揚げかはいまだ???である。
でも、串揚げには違いなく、可もなく、不可もなくいただいた。
ご飯、味噌汁、漬物、和え物はまったく日本の味。たいしたものだ。
大瓶のビールを合わせて締めて410Rp(500円)。物価は安い。
明日は7:00にホテルピックアップで空港へ、8:00のフライトでポカラへ一人で向かう。ガイドはカトマンズから行くのだが、彼の飛行機代は含まれてないため、7時間かけてバスでやってくる。
17時にポカラのホテルで待ち合わせ。
2010年2月10日
エアコンのノイズで十分寝れていないが、体調はまぁまぁ。
でも、左踵の痛みは変わらず、今日中に何とか痛みが和らぐか引いてほしい。
トレッキングにどの程度影響が出てくるのか不安。
朝食は日本から持ち込んだSoy Joyと各種ビタミン、ミネラルと水。 7:00ピックアップ。
外はすごい霧だ。
飛行機飛ぶかなぁ~…
7:30空港着。安全を重視しているとは思えないセキュリティーチェック(この先も何度もある)を済ませ、チェックインして国内線待合室へ。
ただ広いだけのつかみどころのないスペースに無造作にイスが並んでいる。
画面でフライトスケジュールを確認しようにも、どのスクリーンも消えていて、たまに聞こえてくるネパール語と英語のアナウンスだけが頼り。
視程30メートルといったところだろうか、VFR(有視界飛行)ではとても飛べない感じ。
案の定、アナウンスは「カトマンズの天候不良で1時間遅れ…」みたいなものばかり。
僕のフライトも1時間遅れとアナウンスされた。 9:00, 9:30, 10:00, 10:30, 11:00, 11:30...アナウンスがあるたびに「カトマンズの天候不良で出発が1時間遅れます…」。
バスで行けばよったかも。結局飛行機に案内されたのは12:45。
30分のフライトのために何時間待たされるんだ~…とはいえ、天気には逆らえない。
離陸は13:05。小型機ゆえに、操縦席のドアはなく、緊急時等の説明などもなし。
地上滑走中にキャビンアテンダントが飴と綿を配りにきた。
綿? 最初綿菓子の一種かと思ったが、周り見渡すと、その綿を耳につめている。
おそらく気圧の変化に備える意味と、エンジンの爆音から耳を守るための耳栓の役割があると思われる。
座席はいうまでもなく自由席、ポカラはカトマンズの西、ヒマラヤ山脈はネパールと中国の国境に位置する(すなわち北側に位置する)、よって右の窓側を早々にゲットして短い飛行時間ながらヒマラヤの山々を楽しむことにする。
離陸後すぐにヒマラヤ山脈は目前に現れる。すごい。
え、ここ歩くの??期待と不安が入り混じる。
あっと言う間にポカラ空港に着陸。
空港に降り立つとすぐ目前にマチュプチャレ(アンナプルナでもっとも有名かつ美しい山)が堂々かつ美しい姿で迎えてくれる。
気温は20度くらい。 暖かいし、すごしやすい気候だ。ただ、日差しの強さは容赦ない感じ。
カトマンズが標高およそ1300Mに対し、ポカラは800M程度。雪は決して降らない街だそうだ。
小さな空港、しかも飛行機は20人乗りなので、荷物の無くなるようもない。すぐにゲット。
空港玄関に待っていたタクシードライバーが「Mam's Garden??」と声をかけてきたので(私が泊まるポカラのロッジ)早速彼のSuzukiのツーボックス(ネパールのタクシーの主流)でロッジへ。
14:10 ロッジ着。
コテージ風な素敵なたたずまいのロッジで、経営者は日本人女性とのこと。
フロント脇にPCがあってインターネットができるらしい! メールが見れる!! 送れる!! やったー!!
でも、18:00まで停電なので、その後ということで、その場は部屋に引き下がる。
18時…日本は21時15分かぁ~。携帯は相変わらずNG。
部屋に入って荷物の整理。そして散歩。
天気も気温も最高で、紫外線だけ気をつければこんなにすごしやすいところはほかにないくらいいいところだ。
フェワ湖という湖が街の中央に大きく横たわっていて、そのすぐ周辺にレストランやロッジ、おみやげ物屋、インターネットカフェ、ツアーエージェント、両替商、山岳グッズ店などが軒を並べていて非常ににぎやか。
シーズン前なので旅行者、トレッカーが少ないせいもあるが、ロッジが満室になる時期にはこのあたりは大いににぎやかになるのだろう。きっと。
散歩の途中で遅めのランチ。
路地を入ったすぐのところにテーブルを並べただけの小さなレストランを発見。
チキンのグリルとサンミゲル(ビール大瓶)で400Rp 17:00にガイドと現地ポーターとロッジで待ち合わせなので、その前にネットカフェ(自家発電機を持っている!)でメールチェック!
ネットカフェでも大きな問題は日本語IMEが機能する端末かどうか…
入店時に確認してOKといわれても、結構設定をいじらないとそう簡単にメールの読み書きの段階まで進まない。
時間ばかりとられて(1分5Rp)。
17:00にロッジのフロントで待っていたが、彼らは現れず…結局現れたのは18:30。どうなってんの??
明日の予定を簡単に打ち合わせして、6:30出発を確認。
その後ロッジのPCで再度メールチェック!を試みたがPCが不調で立ち上がらない。
PCが使ええればこのままロッジで夕食を…と思ったけれど、PC不調につき、夕食も兼ねて再度湖岸まで出かけてみる。ウロウロお店を探していると目の前にチベット料理店を発見。
物は試し、チベット料理にチャレンジ!
まずはビール(チベットのローカルビール)を頼んだのだが、出てきたのは真鋳製の魔法のランプのような入れ物に入った暖かい飲料で、同じく真鋳のストローが刺さっている。ビール??
チベットは寒いのでこれをビールとして飲む…と店員が片言の英語で言っていた気がする。
決して味はビールではないが、飲めない類のものではない。
食事はチキンモモ(要するにチベット風餃子)とベジタブルカレーにライス。バカ旨。
帰り道、ネットカフェにまた立ち寄る。時代は進んでいる。ネットカフェはいたるところにあるし、ちょっとしたカフェレストランはWEPで保護して無線LANまで対応済になってる。
1時間100Rpのネットカフェで時間つぶし。相変わらずIMEで時間をとられる(ムッ!)ロッジに戻り、しばらく味わえなくあるであろうバスタブで入浴。
風呂上りに帰り道で買ったきたビール(Everest)を頂く。
よく読むと、エベレストに12回登った超人の名前がこのビールのラベルに刻まれていることを発見。
まさに超人。
明日の荷物整理とポカリスウェット1000ccの作成と、水筒に350ccのバックアップの水も用意(部屋に備え付けのミネラルウォーター2リットルで作成)。
荷物は減らしたつもりだが、雇っているとはいえ、この重い荷物15キロ程度を担いで歩くポーターに脱帽。でも、あとで確認したら、ポーター1名にお願いしてよい荷物も重量制限はmax 35kgだそうで、15kgなんてぜんぜん何てことないことが判明。
2010年2月11日
5:30起床。
6:30pick upに向けて洗顔だの最終の準備。
6:30にフロントに出向くが人影なし。ガイド、ポーターがやってきたのは7:00。どうなってんの??
なにやら携帯で話をしている。結果、Taxiは8:00にならないと忙しくてこれないと言う…予約してたんじゃないの??これ、空港に向かうためのpick upだったたら乗り遅れ?だよね。
仕方なく、ロッジは朝食込みなので、Taxiが来るまで朝食をとる。
ベジタブルオムレツとトーストとネパールティー。 名づけてが「Mam's Brekfast」。
8:00にtaxiはやってきた。
相変わらずSuzukiの2ボックス。
3名分の荷物を狭いトランクに押し込んで計4名の窮屈な状態でいざ出発。
登山口まではこのTaxiで向かうことになる。所要時間1:45。
天気は快晴で絶好のトレッキング日和。雲一つない。(日焼け注意!SPF27を顔、首に塗り捲り…)歩き始めるとまもなく、前方にアンプルナ山系がド~ンと顔を出す。絶景!まだまだ先は長いのに、迫りくる感覚は圧巻。
トレッキング開始は9:50。トレッキングを開始してまず思ったことは、歩いているこの道は、決してトレッキングや登山のために切り開かれたルートではなくて、あくまでも、むしろ、この道沿いに住む人々の生活道路であり、村と村を結ぶ連絡道路であることに気づく。
荷を背負った人々(30~50kg位ありそうな巨大荷物)と行き違ったり、ポニー、馬、ヤク、ゾッキョなどに数分おきにすれ違う。
さらに、まだ山の下のほうにいるせいもあるのか、15分に一回程度の割でロッジ、茶屋、村の前を通過することになる。農作業、家畜の世話、洗濯などのに忙しい人々の前を失礼して通過してゆく。
それにしても日差しが強い!日焼け止めもSFP50に切り替えるべきである。
登山道(あえてそう呼ぶ)は高度の低い地帯では道幅およそ2~2.5M。
牛、馬、ポニーなどの動物が背に荷物を積んだ状態で行き違えるほどの幅がある。
道の整備状況もきわめてよく、トレッキングするには程よい路面。
ただ、各種動物の排泄物はいたるところに点在しており、臭いへの慣れと、踏まない技術を早期に習得する必要がある。
12:00ちょうど位に通りかかった茶屋(レストランと書いてあるけど)でランチ。
ベジタブルヌードルスープとコーラ、さらに地元の人がよく飲むらしいレモンジュースをいただく。
単なる即席めんだが充分うまい。
疲れているから何でもうまい!
店員の女の子は18歳。なかなかかわいい顔立ちなので、写真を撮ってもいい?と聞くと、恥ずかしそうにNOといって隠れてします。
そのしぐさがまたかわいい~。
食後、極端な急な登りはないのだが、登っては下るアップダウンの連続で、どう見ても高度は稼げていない。
イメージ的にはとにかくそんなことを繰り返しながら山の奥へ奥へと入っていく感じ。
14:30、今日のロッジに到着。
今日の歩行時間は短く、上下も少なかったのであっという間に着いたイメージ。あまり疲れていない。
高度は1500M。登山口の高度が700Mだったので、それでも800Mは上昇したことになる。
高尾山より登ってるぞ~(自慢できる話ではないけど)!
最終目的地(アンナプルナ山系にいて)は3200Mなので、高度差としては残り1700M。
ロッジの部屋はそこそこ綺麗で快適な感じ。
一応ツインの部屋の一人利用。それでも一泊100Rp。
トイレは共同のアジア式、共同のシャワー(温水)もある。
日本の山岳界とは世界が違う。
こんな設備日本の山小屋にはまずありえない。
部屋独立、温水シャワーあり…。携帯は繋がってはいるが、3GがNGなので、メール云々は何もできない。
電話する必要もないので携帯はプラスチックのただの塊。
このロッジにはインターネットサービスはないようである。
前述通り、Hot showerと文字が見えるので、店員に確認の上早速利用。超快適!お部屋はベットのみでブランケットはない。(言えば貸してはくれるらしい)高度も低く、気温も極端に低くないので寝袋だけで十分だ。 16:45、山陰に太陽が隠れた。今まで22度あった気温がそうはいっても急激に下がり始める。
緯度が低い地域だけに、太陽のあるなしは気温に大きく影響を与える。
ガイド、ポーター、店員たちは現地語でワイワイガヤガヤやっているが、
ゲストチーム(アメリカ人の2人組みx1、アメリカ人女性x1、台湾人(後に上海人と判明する)2人組x1、それと私はすることもなく、本を読んだり、日記を書いたり、アメリカ人はトランプに興じている。
まぁ、これも山小屋の過ごし方。
ミルクティーをオーダーして夕闇のなかのんびり。
いよいよ夕食。もちろんローカルフードの定番「ダルバート」を注文。
それと「エベレストビール」とグラスのローカルワイン(ラキシーと呼ぶ)を一緒に注文。ダルバートはnon-vegタイプを注文したので、チキンカレーがついてくる。味は完璧!残すものなど何もない。
栄養学に詳しくないが、バランスの取れた食事だと思う。
彼らの毎日の食生活がこれであることが理解できる気がする。別に飽きない。
ネパール人に極端な肥満がないのもこのおかげなのかもしれない。
(太るほど十分な食生活ができる環境でないのも事実だが。)
ちなみに、ローカルワインとメニューにあったラキシーはいわゆる米焼酎。
お湯割で飲むのが基本とあって、まさに日本人には合う。
アルコール度数17%。この先寒さが増してくることを可が得ると良い保温薬?になりそうだ。
(一応、念のため100CC程度のウォッカを日本から持ってきてはいるんだけど…)ラキシーが先に出てきてご相伴に預かっていると、気が利いているのかいないのか、飲み終わったころに大瓶のエベレストビールが出てきた。
お腹一杯だけど、がんばってfinish!
食事も終わって20:00就寝。
特に夜にやることもなく、部屋に電気もない。
頼りは登山用ヘッドライトのみ。左右の部屋にアメリカ人と上海人のカップルがベニヤ板一枚で寝ている。
上海人おやじのいびきが強烈!
睡眠導入剤も睡眠薬も飲んでいるけど効果なし。恐るべし。
どうしてパートナーは耐えられているのだろうか???
明日は5:30起床、6:45に荷物をまとめてショウアップ。7:00に朝食、7:30出発予定。 おやすみなさい。
2010年2月12日
5:30起床。
やはり隣のいびきでよく寝れなかった感じ。
寝不足感が体全体に残っている。かといって、二度寝(したい~)している間もないので、早速パッキング開始。
体調的には、昨日の昼からくしゃみと鼻水が止まらなくて結構これが苦しい。
虫の知らせか、成田で10パック入りの資生堂の「肌に優しいポケットティッシュ」をなんとなく買ってきたのが、今となってはなんとも大きな救いになっている。
資生堂?に感謝?? というか、自分の直感に満足!
天気は曇りがち、今朝は少し寒いようで、それでも外気は零度くらいかな。
7:00に予定通り朝食(オムレツ、ポテトフライ、ミルクティー)をとったが、ガイドたちのまかない…のような食事の準備が大幅に遅れていて、結局出発は予定より1時間遅れの8:30。
まったくネパールタイム!?
最初の10分は下ったり、橋を渡ったりとゆったりムード。
その後急な階段状ののぼりのゴツゴツ岩群に突入。登っても登っても終わらない…キツ~。
今までの中で最大の難所といっていい。
結局、2.5時間かけてこの「北岳と富士山8合目、9合目、丹沢を全部足して2で割ったくらいのきつ~い難所をクリア。踵の痛みや、気になり始めてる右膝の痛みを考える余裕もないほどだった。
いや~、苦しかった!!!
そして難所を越えたところでランチ。高度2330M。
ポットでミルクティーを注文し、ゆっくり飲みながらオーダーしたMixed Fried Riceを待つ。
前述通り、今日は昨日と違って曇り空。
日中の気温は10度くらいかな。動いていないと肌寒い。と、思いながらランチを食べているとポツポツ雨が降り出した。
レストラン(といっても単なる山小屋だけど)の中で暖をとりながらレインスーツなどをリュックから取り出して雨対策開始。スパッツも付け、リュックカバーを掛け、万全の雨対策…といいたいところだが、小型のバックパック用のレインカバーのゴムが切れて、100%の防水性を維持できない。こんなときに!! 悔しい~。
機能半減だがやむをえないので半分壊れた状態で進むことに決めた。
幸い歩き始めるころには雨は小降りに。
が、10分ほど歩くと残雪地帯に突入。
雨が降ったこともあり、足場が極めて悪く歩きにくい。
雪は多いところでは膝の高さくらいまであるが、誰も軽アイゼンを使うそぶりがないので、ストックを巧みに使ってスリップを防ぎながら前に進む。午前の登りの苦しみに比べれば楽チンだけど、足元がおぼつかない残雪を踏みながらだけに、気を使う歩きで妙な疲れが溜まってくる。
とにかく長い道のりの残雪帯をランチで自然と合流したアメリカ人、上海人たちと自然とパーティーが出来上がって、各国の歌が飛びかう中(僕は歌ってないけど…だって、こういうとき何歌うの?「昴」とか、「森の熊さん」とか???)、目的地のゴレパニへ。
途中、ゴレパニ村に住むお姉さんを訪ねて登っているという地元の16歳の女の子(かわいい!&ガイドを使ってすかさず年齢チェック!)も合流。
ガイドやポーターは地元の言葉でお話ができて楽しそう…(悔しい~!)。
ゴレパニには16:00着。
ロッジに入り部屋へ案内される。このロッジもとてもきれいで、清潔な感じ。
しかも!!驚くことに部屋にトイレとホットシャワー室がついている~!!
おそらくこのロッジだけは一泊300Rpくらいはするだろう。ほかに部屋がなかったのか、ゴレパニ(一応アンナプルナ山系のトレッキングでは最高高度となる場所のロッジ)なので、エージェントが奮発してくれたのか??
いずれにしてもありがたい。
しかも、太陽光発電と太陽光温水をふんだんに取り入れているロッジだけに、部屋にコンセントまである。
無料で各種充電ができる(普通のロッジはダイニングルームにだけコンセントはあって、有料で充電可)。
カメラの充電が最優先。
だって、携帯は相変わらずの状態のままで、プラスチックの塊。
ゴレパニは高度3000Mを超えているが、なんと歩いていける距離にネットカフェがあるらしい!!ネパール恐るべし。早速行かねば…、と、その前にまずはシャワーとその後のビール一本。極楽。。。
酸素の薄さはまったく気にならない。
ネットカフェまで50Mの距離。着いてみて確認したところ、日本語はサポートしていないとのこと。
仕方がないので一方的に英語でメールを送信することにした。
受信メールはすべて文字化け。
受信メールの数字の部分くらいが辛うじて読めるが意味を成したメールになっていない。
メールをくれた皆さんごめんなさい。
いずれにしても高度3000Mを超えた地点でネットが楽しめるのだから文句は言えない。
30分で500Rpだった。
何しろ高度1500Mの昨夜までのロッジにもその周辺にもネットカフェなどなかったわけで、2日ぶりに文明と接触した感じで、若干興奮気味。(やっぱり現代人だなぁ~)。
明日の宿泊予定地ではネット利用は期待できない。 よって、早くても次回のメールアクセスは2/14(あっ、バレンタインデー!! 縁はないけど…特にこんなところに居ては)になりそうだ。
ちなみにバレンタインの習慣がこの国にあるのか? ガイドに聞いてみた。以外にも!? 「ある」との答え!
女性も男性も恋心を相手に伝える日になっているらしく、デートして食事に出かけたりするそうだ。
でも、それも都市部の話で、ここゴレパニではたぶんない。
だって、人口はどう見積もっても数百人。
夕食は言わずもがなダルバートを早めに予約。 そして忘れずにミルクティーと「ラキシー!」。
明日は午前4:00発でPoon Hill山頂アタック。
日の出とそこに浮かび上がるマチュプチャレとアンナプルナ山系を見に登る。
きっと恐ろしく寒いんだろうなぁ~。
完全装備で出発の予定。
夕食が始まるまでのこの時間帯は、ダイニングの暖炉以外に熱源がないロッジでは、暖炉を囲んで国際交流会。
(暖炉の燃料は基本的にはヤクの糞を乾燥させたものと蒔き)
どこから来たの? いつまで? どこまで行くの? などなど…日記を書いて静かにしてる人もいれば、話に夢中な半分酔っ払いも。 このロッジには本日ドイツ人後一行様が10名ほど宿泊なので、基本言語がドイツ語になっていて、英語での会話成立と参加が極めて困難。何しろ先方も英語は外国語なので… 日本人の私は比較的静かめに暖炉の輪に参加。
今日ゴレパニまで一緒に登ってきたタフで明るい上海人カップルはどうやらロッジが違ったようで顔が見えない。
それにしてもドイツ人、ビール飲む飲む…。
さて、夕食。ダルバートは通常のベジタブルタイプで肉類は入っていないスタンダード。どうしても(エネルギー補給目的)肉類が食べたかったので、チキンカレーを追加注文! あわせて食べると本当に絶品!おいすぃ~~~。
食後は明日が早いので、早々に部屋に退散。外気と変わらぬ室内温度に驚きながら、寝袋とその上に掛ける借りたブランケットを併用して寒さをしのぐ。 間違いなく室内もマイナス気温状態(寒~~~)。
深夜から早朝に掛けては-5度~-10度くらいに下がるんだろうなぁ~(起きて寝袋を出たときが恐怖…夜のトイレも)。
ガイドが気を利かせて湯たんぽ(水枕にお湯を入れたもの)を持ってきてくれた。
これから先は寒い夜が続くので、会社のサービスで毎晩お届けします!だって。 ありがた~い!
いずれにしても3:00起床、4:00出発。どんだけ寒いんだろう。
2010年2月13日
日の出の時間を再確認した結果、深夜に出発時間の変更が伝えっれた。
なので、4:00起床、5:00出発! ということで、4:00に起きた。
Poon Hill山頂は吹きさらしで何もないので、相当寒いことを考慮して、寒さ対策万全に。
スパッツ2枚履きでその上に登山用パンツとオーバーパンツ。
上はユニクロのヒートテックシャツにフリース、裏地つきベスト、ダウン、その上にレインスーツでウィンドブレーカー効果に期待。
首にはネックウォーマーと耳までかかるフリースの帽子。それと登山用ヘッドライト。
何しろまだ夜明け前で外は真っ暗。
完全に「着ぶくれ」オジサン状態。
外に出てみるととりあえず風はない(ラッキー)が、鼻水は出るはじから凍り始めるのがわかる感じ。
天気は快晴。きっとすばらしい景色がPoon Hillで我々を待っている(希望)
空を見上げると、恐ろし数の星。星座なんて認識できない程の満天の星空!
プラネタリウムにいるみたいだ。
さて、いよいよPoon Hillに向けて出発。高度差およそ500M。
ひたすら残雪を踏みながら一歩一歩前に進む。
気持ちがはやってピッチあがる。結果、苦しくなって立ち止まる。
この繰り返し。
1時間20分でようやく頂上に到着! やった~。まだ夜は明けていない。
それにしても朝5:00から黙々と雪道をひたすら登り続ける孤独感と、何やってんだろ~…という冷静な自問自答…。
少し明るさがやってきた。
周りが見渡せるようになってくる。
360度ヒマラヤの山に囲まれている。なんという絶景。薄暗いだけに怖いくらいの迫力。
東から北、北から西へとアンナプルナⅡ、マチャプチャレ、アンナプルナⅢ、アンナプルナⅠ、そして西には壁のように聳え立つダウラギリ。 言葉が出てこない。涙ウルウルな感動の景色。
これらの山々をここから見ているだけでも常軌を逸している気がするけれど、そのそれぞれの頂点を極めた人がいて、今でも極めようと計画している人々がいる。どういう心境と意思が働くのだろう。自分にもそんな気持ちが湧き立つときがやってくるのだろうか…まぁ、僕は登山家でないことだけは確かだし、スポンサーもいないからありえないかな?
でも、それを極めた人々は僕とは違う(もちろんまったく違う)何かすごいものを得ることになるんだろうことだけはわかる気がする。
いずれにしても登頂者(sumitter)には敬意を払わざるを得ないことがこの場に来て改めて思い知らされる。
ロッジに下山後朝食。食欲は早起きしすぎたせいか、早朝(というか深夜)からの行動のせいか、あまりない。
水分だけを体がものすごく欲している。なので、月並みだけど、パンケーキに蜂蜜、それにコーラというなんだかアメリカ旅行中みたいな朝食で済ます。
9:00再度出発でPoon Hillとゴレパニ村を後にする。見るものは見たので後は下るだけ!と僕は高をくくっていたのだけれど歩き始めたらとんでもないことに気づかされた。
3500M~2700Mのあたりを上下する雪の尾根道を午前中延々移動。 とにかくキツイし苦しい~。
残雪は予想以上に(ガイドもそう言っていた)深く、アイゼンなしで安全に進んでいくことは精神的にも肉体的にも緊張で疲れる。ガイドもポーターも予想以上の厳しい雪道に驚きを隠せていないし、今日はロングランの予定なのだが午前中で相当時間をロスしてしまった。何しろ積雪の多いところはざっと見ても2M位はある感じ。
スリップして転ばないことに意識が集中する分、右ひざにものすごく踏み込みの負担が増えて痛い。かと言って気を抜くと間違いなく数メートルは転落する。とにかく苦しいけど、高度は徐々に下がっているので、いつか雪がなくなるはずだ。
雪道をある程度抜けたところでランチ。とにかくここまできつかった。雪さえなければ何てことない下山道のはずなのに。
ランチ後も一部日のあたらない残雪帯のぬかるみを進む。いまや、下が土なのか、動物の糞なのか見分けなどつけていられない。気を許した自分がいけないが、2日目以上に苦しい3日目だ。
正味8時間を過ぎる(Poon Hillを入れるとそれ以上…)の山歩きで、正直ボロボロ(涙)に疲れてようやくロッジ着。
早速ビール! 今日は品を変えて「ネパール アイス」という銘柄のビール。そしてラキシー2杯。
夕食はもちろんダルバートのチキンつき。
ちなみにこちらで「チキン」というと、一口サイズに日本同様細切れにはなっているものの、裏庭でさばいて、血抜きして、羽をはいでそのままぶつ切り(表現が直接的で失礼....)の状態で調理されるので、大骨、小骨はありありです。よほど注意してかぶりつかないと、口の中が血だらけになる恐れあり。
明日は7:30出発でポカラまで戻る。登山口まで4時間のダラダラの下りだそうだ。(という、ガイドの言葉が信用できなくなってきた…本当にダラダラの下り坂ばかりなのか??)
簡単に書いてますけど、本当に今日はキツかった。2日目が最大!と完全に思い込んでいたせいもあるけれど、泣けるほどしんどかったよ~。
2010年2月14日(バレンタインデー…くどい!?)
5:45起床 7:00朝食、7:30出発予定。
起床後すぐに部屋の外から望み見えるアンプルナにあたる朝焼けに感動。思わずカメラのシャッターをパシパシ。
すばらしい朝日に映える山々…神々しいとはこう言うことなんだろうね。(信仰心ゼロの僕がコメントすると違和感あるけど)。
登山口まで4時間程度といわれているけど、いまだ標高は2000M。なので、登山口まではざっと1000M下ることになる。
言うまでもなく、昨日の行程(荒行?)で山谷超えて峠越え…を経験したおかげで、右ひざの痛みがかなり残っている。ガイドはダラダラのくだりとは言ってはいたが、それでも膝への負担は下りがもっともキツイ。フェイタス(痛み止めの塗り薬)をたっぷり塗って、念のためバファリンも飲み、サポーターをがっちり巻いて下りに備える。
しかも、歩き始めて4日目の朝、ついに筋肉痛もお出ましになられた…足全体が重~い感じ。
今日はバレンタイン…なので~。そのためにもらったわけではないけれど、非常食用として出発前に会社で頂いたビターの板チョコ(一口サイズ)を2枚頂いて気分だけ?盛り上げる(悲)。
いつものことで時間通りには出発できず、結局8時出発。 ダラダラ?ではなく、石段をこれでもかというほどの段数下る。それも結局2.5時間。段差が大きいので膝への負担は尋常でない。ヒィ~。ストックで必死に補助するが、それでも負担をゼロにはできず泣きべそ状態。この石段への(ここだけじゃないけど…)恨みは深い!(ムッ!)。
それでもこの石段を生活道路としてスイスイ顔色一つ変えずに上り下りしていく地元人々が不思議でならない。
もちろん彼らにとって苦しい坂道であるわけはないけれど。
途中で昨日一緒になった中国人女性2名(from 北京)に追いつかれ、追い抜かれ…なんでも、ヨガの先生らしくエネルギーが余って困っているくらい元気な女性たち。帽子、サングラス、バンダナで口を覆っているので年齢不詳。声から?判断するに30代中盤か?
12:00ちょうどにランチ場所に着くまで結局抜きつぬかれつ一緒だったが、僕らがランチ場所に着く前に少し距離を離されて、その間に見失ってしまった。 バイバイも言えずにさようならになってしまった。残念。だって、足掛け2日一緒に歩いたのに、もうこれで一生会わないのか…と思うと、海外の旅先での出会いとは、まさに一期一会である。
ランチを終えてタクシーの待つ登山口まであと20分程度のゆるい上り坂。もうすっかり村の中の道を歩く感じで、道の両脇に商店が軒を連ねる。
ガイドの名誉のために書き添えておくと、確かに全体で4.5時間の行程で、最後の2時間は確かにダラダラとしたくだり道だった。ネパールののどかな農村風景を眺めながらハイキング気分な2時間だった。背後にはマチャプシャレが常に僕らを見守っている。
タクシードライバーと登山口で合流し、悪路(まぁ、この国全体として道路の舗装状態はきわめて悪いか、舗装されていない)を揺られ、Mam's Garden(ポカラのロッジ)に15:00着。とりあえず3泊4日のトレッキングが無事終了した~!!(パチパチ - 拍手)
部屋に入って、休むまもなく自分で洗濯可能なもの(下着など)と、できないもの厚手のフリースなどを仕分けて洗濯開始。できないものはロッジのランドリーサービス(といってもたらいで手洗いらしいけど…)へ。
続いて久しぶりのお風呂!! バスタブにお湯を張って筋肉痛と右ひざをいたわりながらゆっくり入浴。気持ちい~!!
特に筋肉痛が優先順位の高位につき始めているので、湯船で入念にマッサージ。これがなくならないと、この後のカラパタール/エベレストトレッキングに大きな障害になること間違いなし。
ポカラからカトマンズに戻るのは明後日の早朝の便なので、ポカラにいるうちに何とか解消せねば…
風呂上りに久しぶりに鏡をじっくり見たけど、日本出国以来ヒゲを剃っていないので、いい感じ???で不精になってきている自分に気づく。 中途半端で汚い!が本音である。
ロッジの主人の行きつけのマッサージ店が近所にあると聞いたので、明日の朝の状態次第では早速行ってみよう!
今日は15:00から17:00の間に一時的に停電が解消される予定だそうだ。早々にネットカフェに出かけよう。日本語入力で手間取らないことを願いつつ… それにしても、日々違った時間帯が決まっていている(各ロッジやレストランはどこからともなく配られている停電時間リストを持っている。)停電措置というのもいかがなものか…
そういえば、このロッジはフロントにPCがあって日本語対応しているはずだった。前回はPCの不調でそもそもメールにたどり着いていないが、今日は主人がサクサク使っているのを見かけたので動作はしそうだ。
主人に言って使わせてもらう。一時間30Rp。 「タダじゃいけないのかなぁ~」といいたくなるような料金設定。
17:00までの短期決戦(開始が16時を過ぎていたので)。
必死に受信メールを読み、それに返信してゆく。17:00ギリ…で無事終了。(ホッ)
次回の給電開始は20:00から21:00。まったく理由がよく見えない停電計画だ。不便の極み。
夕食の時間にもよるけど、先ほど送ったメールの返信が数時間で来ることを考えると、
夕食は湖畔に出かけて自家発電を持っているネットカフェで再チェックかな。
夕食は湖畔にある多国籍料理店。若干タイ料理を意識したつくりとメニュー。
チキンのグリルとカールスバーグ(缶が良いんだけど、大瓶しかない…)。
このお店、珍しく、Visa/Masterが使える! よってJALカードで決済。
しっかりオンラインで承認された。
帰り道、雑貨屋なのにやけにワインを多く売る店を発見。
Jacob's Shiraz Cabernetが900Rpなので、早速ゲットと思ったら、現金の持ち合わせがなんと900も無い!!
恥ずかしながら一度店を出てATMをウロウロ探す。
Travel BankのGlobal Moneyを使って10,000Rp引き出しにチャレンジ。
レスポンスも早く、まったく問題なく10,000Rpを手にできた。(残高いくら入ってたかなぁ~…記憶ゼロ)。
そして胸を張って!?再度雑貨屋へ! そしてようやくワインをゲットし、夕闇の湖畔のにぎやかな通りをウィンドウショッピングがてら散歩。
山岳グッズ店でセール(いつもセールなのだと思うけど…)をやっている。
The North Faceのノースリーブウォームベストが2000Rp、長袖フリースが500Rp。迷わず買い!(偽者率はかなり高いけど…)。Poon Hillの寒さを考えるとカラパタールに行くにはこのくらいはあったほうがよさそうだし。
支払いのとき、店員がノリのいいお兄さんだったので、少しでディスカウントをお願いしたら、両方で2000Rpにしてくれた。いい買い物だった。
その後はネットカフェ。 先ほど送ったメールへの反応も一部あったので、それに答えて約30分。
終えてロッジに向かうころにはあたりはすっかり真っ暗で、星がきれいだ。
湖畔の大通りから路地に折れて入ると、そこはまさに真っ暗な空間。人の気配もものの気配もわからない闇。
「ロッジわかるかなぁ??」。 向こうからやってきたバイクのヘッドライトの一瞬の光で自分の位置を確認し(必死)、曲がり角を間違わずに何とかロッジにたどり着く。
部屋に戻っても停電は終了しておらず、備え付けのローソクに火をつける。
ローソクの明かりってやさしくて本当に明るい。 光に感謝。
このローソクの光でこのブログのソースとなるメモを書く。
気分は「蛍雪時代」…古すぎ?
2010年2月14日
4:45起床。
5:45タクシーにpick upしてもらい、サランコットの丘に登る予定で簡単な外出準備。
ポカラとはいえ、朝も早いし、丘の上は吹きさらしだろうから防寒は念入りに。
(タクシー…時間通りくるかなぁ~。)
この時間を逃すとサンライズ(ご来光も薄闇に姿を見せるアンナプルナも楽しめない)が拝めなくなる。
頼むぞタクシードライバー!
5:40、時間通りにタクシーがやってきた。
実は昨日登山口からロッジまで送ってもらったドライバーに今日のお願いをしておいた(no problem! I will pick you upとか言ってた)のだが、今日来たのは別のドライバー…(ムッ…)聞いてみると、昨日のドライバーの弟で、兄は別のお客さんを同じサランコットに連れて行くことになったので、ピンチヒッターなのだそうだ。
うまくネットワークが張られている?と感心すべきところなのかどうか???いずれにしても時間通りに行動できることが何より。
サランコットの丘は、トレッキング目的以外でポカラを訪れる人は、必ずと言って良いほど訪問する絶好のView point! 特に朝日が昇る時間帯は絶景。
いざ、出発。ロッジを出て10分もしないうちに暗闇のワインディングロード。自身の存在をアピールするためだと思うが、カーブが迫るたびにこれでもかとクラクションを長めに鳴らす。 対向車対策?。40分ほど走ると観光バスやタクシーが群れをなすエリアに到着。どうやら丘は近い。
東の空がぼんやりと赤みを帯びてきているが、日の出にはまだ時間がありそうだ。
西の山々もうっすらそのシルエットを見せはじめている。
丘に到着。丘の一番高いところまでは5分ほどの歩き。 気がつけば数百人の観光客。珍しく日本人も多数見かける。
いずれもシャッターポイントの取り合いで必死。。。 みんなデジタル一眼レフのいいカメラ持ってるなぁ~。しかも立派な三脚まで用意して。
でも、日本人が多いとはいえ、今は中国の旧正月。右も左もChinese!
もはや日本人のつけ入るすきはない… 恐るべしChinaパワー!
刻一刻とあたりが明るくなる。
山の見え方も徐々に変化する。 黒→オレンジ→白…すばらしいグラデーション。
あまり自分を写真に収めるのは得意(嫌い)ではないが、近所にいた日本人にお願いして撮影してもらう。
この日本人ご家族、5日間の強行日程でネパール、しかもポカラまで足を伸ばしたというから驚き!
ちなみに写真はお母さんにとってもらった(お父さんは岩に腰掛、抱かれた子供は熟睡中…)。興奮冷めやらぬはお母さんのみ。お父さんも子供同様眠そう&興味なさそう…。 もったいない!こんな景色めったに、イヤ、絶対二度と見られないのに!!!
すばらしい日の出、山々の色の変化などを堪能し、7:15に撤収。車に戻る途中、昨日のタクシードライバー(兄)にも偶然遭遇(Hi my friend!!とかいって)、やけに陽気に振舞いつつ、しっかり今日迎えに行けなかったことをわびている。ネパールの人はみんな比較的礼儀正しい。
すっかり日の昇ったワインディングロードを下っていく。8:10にロッジ着。料金は1000Rp。しっかりチャーターで行ってこれたことを考えると、1000Rpは文句の付けどころがない。ちなみにこの値段交渉は、昨日の内にガイドを絡めて交渉した結果だったので、ぼられていることはおそらくありえないし、仮にぼられていても文句はない金額だ。
相当早起きだったので、11時まで仮眠することにしてベットでダウン。zzz…
仮眠後、フロントに行ってカトマンズへ帰る翌日の便のリコンファームをお願いする。
この国の国内線全部とネパール航空の国際線は未だにリコンファームを必須としている。
ただし、前日のリコンファームで十分で、昔の「72時間前まで」ルールを適応していない。
要するに、本当にのるのか乗らないのかを最終確認したいんだろうね。
カラパタール/エベレストに備えて(というか筋肉痛軽減)、ロッジのご主人行きつけのマッサージクリニックへ出動。盲目のスタッフたちが施術するまさにクリニックで、1.5時間で1500Rp。
体がボロボロですよ…と施術中に言われた。 その通りだし、反論なんてできない。 とてもトレッキングできる状態で無いとも…(えっ?)
マッサージしてくれた男性スタッフはほんの少しだけ日本語が話せる。
結果、いつもそうなるのだが、静かに施術を受けることはできず、にわか日本語授業が同時並行で進んでいく…
僕は黙って施術を受けたいのに~~!
その彼の勧めで、あまり興味の無かったフェワ湖の遊覧ボート(ようするに手漕ぎボート)に乗ってみることにする。
1時間300Rpで漕ぎ手つき。値段的に文句なし! おじいちゃんの漕ぎ手さんに促され、巨大フェワ湖をゆっくり湖水遊覧。 天気もよくて気持ちいいい!(忘れずに日焼け止めを追加で塗りまくる)
そもそも期待も興味も無かったけど、湖から見上げるマチュプチャレを含む山群と午後の雲の立体感が想像以上に迫力があって見ごたえ抜群。乗ってよかった。 だって、たったの300Rpだし。
漕ぎ手のおじいちゃんも片言の英語でいろいろと説明してくれてとても易しい。かわいいおじいちゃん。
さて、お土産探しもそろそろ始めなくてはじゃらない。
「ポカラ」と刻まれたキーホルダーを湖畔のお土産店で探してみるが、これがなかなか見つからない。というか、「ない」。不思議でたまらない。 だってここは国際観光地でしょ? 普通地名の入ったキーホルダーって常識的にあるよね?? 何でないの~~~~!!
若干イライラモードになりつつ店を物色。 インド人の経営する小さいお店に入ってみた。水牛の角に「POKHARA」と書かれた「ネックレス」を発見。 あ~~~、おしい~~~。 「これのキーホルダーを探してるんだけど、ないですか~??」
返ってきた回答…「OK. I will make it」。 「えっ?」 3つほしいんだけどと伝えると、おもむろに陳列してあるネックレス3つを取り外し、根っこからハサミでばっさり… 目が点。
で、ビーズ球などが入った大きな袋を店の奥から持ってきて、机上にドバ~っと広げて、その場でオリジナルのキーホルダーを作り始めた! さすがに無言にならざる得ない。 奥さんらしき人が出てきて、「30分くらいかかるからこのイスに座ってなさい」とイスを勧める。 素直に応じる。 完全に流れに押されている自分がわかる。
そういえば、値段について聞いてないけど、まぁ、いいや。 ここまで熱心にやってくれるんだ。僕も江戸っ子!言い値で買い取りましょう!
巧みにカラフルなビーズを糸に通しながら、おじさんからは想像できない芸術的な世界に(おそらく)3つしかないオリジナルキーホルダーが完成!!すご~~~~い! これで、頼まれもののキーホルダー(ポカラバージョン)はゲット。 で、自分用には歩いたアンナプルナトレッキングルートがプリントされたTシャツを買うことにして一瞬で完了。
16:00に本日の給電が開始するので、一旦ロッジに戻って携帯やカメラの再充電をしながら、このブログに残すためのメモを書き、明日早朝のカトマンズ戻りのフライトに備えて荷物整理も開始…でも、一部自分で洗濯した下着類などが乾いてなくてパッキングできないことが判明。(が~ん)。ドライヤーがあるわけでもなし、強制乾燥は不可(トホホ)。何とか最悪朝までに乾いてくれ~!
夕食前にネットカフェに立ち寄った。特に多くのメールは無かったが、バンクーバーで上村が4位だったことを知らされて、以外にショック! 惜しい…&かわいそう。冬季で日本がメダルを取るのはきわめて難しいことだろうなぁ~と、つくづく感じた。
現金が不足気味なので、残っていた100USDのTCを湖畔の両替屋でキャッシュに戻す。
そして夕食へ。
アジアン多国籍風(Koreanレストランらしいが…)レストランに入ってみる。 気温が結構下がってきたので、野外の席か室内の席かと聞かれて、すかさず室内を選択。
メニューの写真にあるチキンの串焼き(バーベキュー風)が妙においしそうなのでオーダー! ビールはスーパードライががあったのでそれで決まり。 でも、チキンの串焼きは写真とかかけ離れたスモールサイズな(焼き鳥程度)なので、追加で生春巻きも注文。 部屋には韓国語の本がぎっしり本棚に詰まっている。
そのなかに、なんと、1Q84韓国語バージョンを発見!思わず取り出して写真をパチリ。韓国でもベストセラーになったと聞いているが、ネパールまで渡ってきていたとは。きっと旅行者の誰かが読み終わっておいて帰ったのだろう。
結局ビールは2本(小瓶)。締めて1250Rp。ちょっと高めかな?
あ、夕食前に実はもう一軒マッサージ店に実は立ち寄っていました(笑)。マッサージのはしご。
だって、何とかこの筋肉痛と一刻も早くおさらばしたいから。
高級そうなホテルの一角にあるエステ風マッサージ店。
ここの施術師は若い女性。 なかなか上手で、オイルマッサージを頼んだのだかこれが心地よい(ふぅ~)。
あっという間の一時間で、料金1800Rp。 高めだけど、場所も高級そうなところだし、アロマオイルに満足したので文句はない。 シャワー室が無いのが残念だった。
21:30、夕食を終えて部屋に帰って続きのパッキング。
マッサージオイルも落としたいので、バスタブにお湯を張って入浴、
そして、風呂上りに昨日買って、まだ残っているワインを飲んで寝てしまおうというプラン。
が、今日は思うように熱い湯出てくれない。
仕方なくぬるめ(かなり)の湯に無理やり肩まで浸かって体を温める…(かなり無理あり)。
と、そのとき…部屋中の電気が一斉に消えた…しまった!停電!!
あらかじめ聞いておけばよかった....そうか、今日は22時からかぁ~。
真っ暗な湯船からすり足で出て、部屋のローソクをようやくつけて、冷えた体はローソクの灯の下でワインで暖め、早々にベットにもぐりこむ。明日は7:15pick up、8:15のフライトでカトマンズへ!
2010年2月16日
5:45起床。
日中のポカラはこの時期20度を越える暖かさだが、朝晩はさすがに冷え込み3~5度程度にまでなる。
さすがに盆地であり、高山に囲まれているだけのことはある。
起床と同時にできるだけ着込んで、その後最後のパッキング(洗濯ものが残ってる~)。
7:15 pick up。 相変わらず停電は続いていて、夜明け前なのでローソクのもとでメモを取る。
今日のフライトは時刻通りだろうか…また5時間待たされたりしないかなぁ~…ある意味トラウマになってる自分。(心配)
pick upのタクシーは7:30にやっていた。 空港までは車で10分とかからないし、フライトがon-timeであることもありえない!?ので、この遅れは特に気にならない。 ネパール的時間発想に慣れつつある自分が怖い。
荷物を積んで、世話になったロッジの女性スタッフ(写真より実物はもっともっと美人!強調しすぎ?)に挨拶などして空港に8:00に到着。「チェックインは8:30からはじめるよ」とカウンターで言われ、その時点でフライトの遅れは確定(定刻は8:15なので…)。
結局8:30にチェックインして飛行機に乗り込んだのは9:45。1.5時間遅れ。
カトマンズへの帰りは左窓の外にヒマラヤ山脈を眺めながら、カトマンズには10:30に着いた。
降りたとたん、カトマンズは排ガスで空気がよどんでいるのがわかるし、布製のマスクをした人が多いことが今ようやく理解できる。
気温は20度以上はあるだろうか、湿気が少ないのですごしやすいが、朝晩は冷え込む感じがとてもする。
10:50にホテルに到着。このホテルは停電はあるものの、ワイヤレスでも、ロビー備え付けのPCでもフリーでネットが楽しめるのでありがたい(PCの調子はたいてい悪いので、自分のGoogle Phoneで主に無線対応)。
どうでもいい豆知識だけど、ネパールでコーヒーを「ブラックで」と頼むと、必ず砂糖はついてくる。
ミルクを入れないことがブラックの意味らしい。 このホテルのウェルカムドリンクも例に漏れなかった。
ホテルに預けてあった荷物(カラパタール用)をpick upして、早速再度明日の出発に向けてパッキングのやり直し。
Poon Hillでの経験を生かし、どう考えても使いそうも無いものや、量を減らせるもの(ホッカイロの数とかオヤツとか)、現地登山中に必要であれば調達可能なものはできるだけおいていくことにして荷物をコンパクトにした。 何しろ今度は12泊13日の行程だから…
それでも、ポーター用リュック、自分用小型リュック、寝袋入れを兼ねたバックの計3点は変わらない。
ちなみに、ポカラの空港をでチェックインする際にカウンターの秤で計ったら、リュック2つ、寝袋などを入れたバック計3点で18Kgだった。優秀?だと思うけど、それでも一人で持ち運んでトレッキングしろといわれたら無理だったことは言うまでもない…
荷物の整理後、ランチも兼ねてカトマンズの繁華街タメル地区(ホテルのこのエリア内)を散策。
車の量はそれなりに多いが、それ以上にバイクの数の多さに驚かされる。アジアの発展途上国はどこでもそうだが、ご他聞に漏れず「交通ルールゼロ」。我先にクラクション(というよりブザー音)を鳴らし、自分の存在をアピールしながらとにかく突き進む運転スタイル。日本だったら即刻免許取り消しされる、ある意味暴走行為。ODAの一環で日本が送った信号機が繁華街の大交差点に設置されているが、ライトはついていない。。。夜間に見たときは赤の点滅だけは機能していたが、歩行者用信号機は昼夜を問わず使われていない。交通法規も守るとか、交通のモラルというものはこの国にはまだ早すぎたのかもしれない。
散策ついでに探さなければならないもの…そう、「カトマンズ」と刻印されたキーホルダー! これがまたなかなか無い。まったく観光地の定番品を売る気が無い。誰も買いそうに無い巨大なヒンズーの置物はしっかり売られているところばかり目にするとだんだん腹が立ってくる。 キーホルダー…常識だよね。
ミサンガ、置物、カシミア製品、山岳用品のお店はいくらでもあるし、いわゆるお土産屋だってイヤというほど存在するのに、「カトマンズ」と書かれたキーホルダーの」ひとつがな~~~~い! これは長期戦の様相だ。
話は変わるが、やはり街に中国人がやはり目立つ。 未だ旧正月のホリデー期間中なのだろう。確かにエージェントのスタッフも、年を追うごとに、旧正月に限らず、中国人観光客が増加しているといっていた。
そのせいか? どのお土産やらしき店の前を通過しても「ニーハオ!」と声を掛けられる。「こんにちは」と日本語で返す。
ランチはガイドブックでも紹介されている「ちゃちゃカフェ」。
日本人が経営しているわけでも、スタッフに日本人がいるわけでもないけれど、日本人好みの和食風洋食(照り焼きチキンみないな…)がメニューに並ぶ。店は小さいが、日本のファミレスのような品揃え。客層も日本人80%という感じで、もう何ヶ月も滞在してます…みたいな学生風グループが店の奥で盛り上がってる。
親のすねかじって、体験留学とか、ボランティアとかいう名目でやってきているのだろうか、でも、どう見ても日本を抜け出し遊んでいる風にしか見えない。 なんだか堅苦しいけど、日本の将来を憂う…。
照り焼きチキンとツナサラダをオーダー。おそらく日本を出てから「魚」を口にするのはこれがはじめてだと思う。
ランチ後、まだ行くの?と思われようが、最後の仕上げにフットマッサージのお店にお出かけ。
45分間膝から下限定で徹底的に筋肉痛回復オイルマッサージ! 500Rp。
これで、明日からのカラパタール行きの足腰復旧プロセスは打ち止め! 後は一晩寝てみて体がどこまで復活するか…自浄能力(表現あってる?)に賭けるのみ! 年齢的不安大…だけど。
ホテルに戻ってメールチェック。ホテルのPCを使ってgmailを書いていたら、突然想定外の一時停電…無残にも長文メールが…(涙)。UPSくらいおいてほしかったなぁ~。 だって、そもそも電源不安定なんだから(怒)。
15分程度で停電は復旧したけれど、こんどはネットがつながらない。
誰も助けてくれるわけも無いので、自分でPCの設定やらルータやらハブやら、可能な限り設定の確認などを(勝手に)実施して、ついに20分後に完全復旧! 修理代よこせ~!!と訴えたい気分。 すでに僕の後ろで順番を待ってる人がいる。何しろPCは2台あるけど1台は完全に利用不能。このPCが宿泊者の命の綱(大げさ?)で、しかもこのPCが正常に動かない限り無線LANも機能しない。 重要なPC!
いずれにしても次の人がずいぶん待っているので、途中でメールは切り上げて順番を譲ることにした。
そして夕食へ。
メールが不完全燃焼だったので、「WiFi Available」のお店を中心に何を食べたいでもなくレストラン/カフェ探し。
ずいぶん歩いてついにIndian foodのお店にWiFiの看板を発見! 必然的に今夜はインド料理になる。
外から見る限り、暖炉もあって暖かそうなので迷わず入って、暖炉横の席を選ぶ。暖かい!
注文を聞きに来たウェイターにWEPを聞くと、「今は停電中なのでWiFiは使えないよ!」....ガ~ン。
な、何のために一所懸命探してこの店に入ったと思ってるんだよ~!!自家発電も無いのかよ~!!
あ~、ショック。でも今更店を出る気にもなれず、あきらめてメニューを検索。 トホホ。
ナンとチキンマサラ(カレー)とデンマークの「TUBORG}というネパールでは人気のビールをオーダー。
ホテルに戻る途中、山岳グッズのお店をいくつかウィンドウショッピング。
The North Faceのwater Proof Bagがとても気になる。
帰国するころには荷物も少しは増えるだろうし、カッコイイので気分は完全に「買い」モード。
でも、このあたりのお店で売られているのは99.9%偽物なので、帰国までに直営店(きっとあるはず)を探してそこで吟味しよう。
ちなみに偽物?の大型(50リットル)バックは値段交渉なしで2500Rpといわれた。偽物なりに魅力的。
日本で買う本物の10分の1以下の値段と思われる。 とにかく欲しい~…感じになってきた~。
2010年2月17日
4:00起床。
暖房の音はきわめてうるさいが、効き目は高いのでよしとしても、朝シャンのシャワーの温度はせいぜい30度。冬の滝壺修行(大げさ?)とは言わないけど、朝、水に近いシャワーで体を起すのは気合がいる(ウリャ~って感じ)。
5:30に予定通りpick up。いざ空港へ、そしてカラパタールへの登山口となるルクラの村へ!
でも、毎度のことで、飛行機はどのくらい遅れて出発することになるのやら…期待しないことにする。
天気は快晴、なんと30分遅れただけで飛行機は出発した(これをon-timeと言わずしてなんと呼ぶか!!)。
ルクラの空港の事情(後述)で、飛行機のサイズはポカラ行きに比べさらに小さくなって窓際一列ずつの6列配置。
要するに12人しか乗れない。
ルクラまでのフライトタイムは30分程度。
高度2800Mに位置する世界でも名高い?知る人ぞ知る恐怖な空港。
滑走路長は500M そこそこで、傾斜が25度近くある。しかも、滑走路の手前はきいりたった崖、滑走路の反対側、sつまり終わりは同じく切り立った壁。壁際に小型機4機がようやく停機できるスペースがあるだけ。
したがって、飛行機の常識である風向きに向かって離陸して、風向きに向かって着陸するなどという概念はまったく無視され、壁に向かって着陸し、崖に向かって離陸する以外の方法しかここにはない。
自分も小型機を操縦するが、この空港(というは飛行場)はご勘弁願いたい。
12人乗り小型機とはいえ、この過酷な滑走路に日々離着陸している現地パイロットの操縦技術に敬服…
空港到着は7:40分。 さすがに高度2800Mの朝は寒い。5度くらいだろうか。
カトマンズからルクラに来るための陸路(車道)は無いため、ガイドは僕と一緒のフライトでカトマンズからやってきた。アンナプルナの時と同じ英語ガイドのRaju君21歳。
空港横のロッジで今回のポーターと顔合わせ。19歳のきわめて小柄な少年。 大丈夫なのかなぁ~。
でも、二人ともカラパタールへのガイド、ポーターの経験は10数回とのことで頼もしい。
ロッジで朝食にトーストに蜂蜜をつけてエネルギーを補給して、8:30いよいよ歩き始める。
村のメインストリート(といってもこの道しかないけど)数百メートルを歩きながら、村の様子を観察。
な、なんと…スタバのロゴを数十メートル先に発見! 思わず走りより写真をパチリ。 でも…あれ?何かが違う…ロゴの中央にあの個性的な女性の姿が見当たらない。変わりにヒマラヤの山々が描かれている~!! なんとすっかりだまされた。よくできすぎの偽物。 店内も落ち着いた感じでスタバ感を出しているけど、まともなコーヒーは売っていないようだ。 まぁ、スタバさんもここまでやって来て著作権云々を論議しないだろう。big jokeとして受け入れられることを願う。それにしてもよくこの看板つくったなぁ~~。 天晴れ!
村を過ぎると急に下り坂が始まる。地図で確認していたので承知してはいたが、このくだりは高度差で数百メートル続く。 右ひざがすでに悲鳴を上げており、必死にストックでカバーする。 あ~、この下りがあるということは、その先に少なくともこの分を取り戻す登りがあって、それでプラスマイナスゼロにんるだけかぁ~。むなしい…
11:30 アップダウンの末、本日のロッジに到着。え? 今日はこれで終わり?? ガイドいわく、初日でもあり、軽めに終わらせて明日以降に備えることが目的らしい。まぁ、朝も早かったし、行動時間的にはそれなりにあったことも事実かな。 素直に休もう。
ランチに卵入りのMixed Fried Riceとサンミゲル。
食後に部屋に入ったが、日が当たらないので意外に寒い。
ポーターが未だ到着していないので、上に着るものも無く、体を温めるために日のあたるロッジ前のベンチで昼寝。
ここの高度は2610M。地名はPhading。ルクラが2840M なので、実質230Mまだロスの状態…
結局荷物は15:00に届いた。何してたんだろうこのポーター?? 後で聞いたら一つ先のロッジと思い込んで先に行って我々の到着を待っていたらしい。 だいたい、ポーターに預けている荷物の中にも歩きながら必要になるものも入っているのだから一緒に行動してくれよ~!と心の中で叫んだ。
Hot showerあり、とのことなので、昼寝の後に汗を流す…最初の2分は快適な「お湯」だったが、その後徐々に水温が低下…ヤバイ! 早々に切り上げて部屋に戻る。
どこのロッジも同じだが、部屋に暖房などというものは存在し無し。 暖炉はダイニングにある蒔きストーブのみ。(実際にはヤクの乾燥糞が主な燃料だけど)。
なので、部屋にいる限りはひたすら着込む、ホカロンで暖をとる、寝袋にもぐるくらいしか手は無い。
幸運にも、というか、予定通りというか、日本出発前に髪を極端に短くしてきたので、シャワー後のケアは超楽チン。
しかも、ヒゲもこの旅行中は一切剃らないことに決めているので、不精ではあるが手入れに手がかからない。
純粋にシャワーを浴びると、原則体を拭けばそれで風呂上りのケアは完了…唯一のケアは日焼け止め効果のある保湿クリームを顔、体に塗りたくることだけ。あ、それとone dayコンタクト。
さて、ここで、大事なことなので、今のうちに全行程のコースと宿泊地、それに立ち寄りポイントを整理。
初日:カトマンズ - ルクラ - パディング
2日目:パディング - ナムチェバザール
3日目:ナムチェで高度順応(3440M) - エベレストビューホテル訪問を含む(3880M)
4日目:ナムチェバザール - タンボチェ
5日目:タンボチェ - ディンボチェ
6日目:ディンボチェで高度順応(4358M)
7日目:ディンボチェ - ルブチェ
8日目:ルブチェ - グラックシェップ - エベレストベースキャンプ -グラクシェップ
9日目:グラクシェップ - カラパタール - ロブチェ
10日目:ロブチェ - パンボチェ
11日目:パンボチェ - ナムチェバザール
12日目:ナムチェバザール - ルクラ
13日目:ルクラ - カトマンズ
と、まぁ、こんなスケジュールですが、これがどの程度変更されるか…今後のお楽しみ。
ロッジに早くついたこともあり、とにかくやることは無い....
部屋にいても狭いし寒いし。寝袋に包まって本を読むくらいしか時間つぶしが無い。
17:00についに我慢できなくなってロッジのダイニングへ。
今日の宿泊者のデンマーク人2名、カナダ人2名と旅の不幸自慢などの話の花が咲く。
要するにみんなすることが無くて困ってるわけ。
18:00に夕食をオーダー。チキンカレーとサンミゲル(なんだか代わり映えしないけど)、それとI Love ラキシー!
通常はオーダーして、ものが出てくるまでに1時間かかるが、19:00までには食事が終わった今日キッチンは優秀!
ダイニングの暖炉は暖かく、その上にお湯を沸かしているので、テルモスに350cc譲ってもらって夜に備える。
寒い夜にテルモスのお湯を飲むだけでも体が芯から温まる。
明日の朝は7:30朝食、8:330出発の予定で、向かうはエベレスト街道最大の村(都市?)ナムチェ(別名ナムチェバザール)。毎週土曜日に各地(ネパール以外にもチベットからなども)から物資が集められて市が開かれるのでナムチェバザールと呼ばれることが多い。
想定歩行時間は5~6時間。聞き及ぶところでは、ナムチェに入る直前の600Mの高度差越えがかなり厳しいらしい。
2010年2月18日
6:30起床。
天気は快晴。6:00には周囲が明るくなるので、それにあわせてヤクが荷物を運んでいるカウベルが聞こえ出す。
うるさいというより、のどかな鈴の音。 そう、ここは登山道でもあるけれど、何度も言う通り重要な地元民の生活道路なのである。特にこれから向かうナムチェはこのエベレスト街道最大の市場であって、荷揚げするポーターや動物たちがひっきりなしに行き交うことは通常の光景なのだ。
ゆえに夜が明けさえすれば行商人は活動を開始する。うるさいなどとよそ者が言える立場になど無い。
朝食はオムレツとミルクティー。快晴なだけあって、外気は0度近くまで下がっている。寒くて!?くしゃみと鼻水が止まらな~い。加えて右ひざの痛みが深刻だが、体力的には疲れが残ってる気はしない。比較的元気。
いざ、ナムチェへ!
ナムチェは20年前にネパールを訪問したときから、さらにはエベレストの話題をマスコミで目に耳にするたびにもっとも行ってみたかった村だ。
そのすぐそばに日本人経営(エベレストの景観に感動した日本人)のエベレストビューホテルがある。
このホテルからのエベレストの眺めはどんな雑誌や資料でも絶賛させれているし、実際世界中から数多くの宿泊者が訪れる。でも、一泊100USD以上する高級ホテル。僕らの一泊1.5USDレベルとは訳が違う。
ヒマラヤはその山脈の特徴と地形的特長から午後曇るのが定説。到着する頃にがどのくらい見えるのかはまったく予想できないが、ナムチェでは高度順応目的で2泊するので、きっとエベレストも顔を出してくれるだろう(希望)
とにかくがんばって登るのみ!!
エベレスト街道をひたすらナムチェに向けアップダウンを繰り返す。くだりの右ひざの痛みは消えることは無く、サポーターをしっかり締めなおして前へ前へ。
モンジョという村(集落と呼ぶのが正しい小さなところ)にサガルマータ(ネパール語でエベレスト)国立公園の入境許可申請所がある。ここで通常は1000Rpの支払いと写真付き通行許可証の配布を受ける。実際にはカトマンズの同事務所出張所でエージェントが事前に手続きを完了させていたので、すでに持っている写真付き許可書にスタンプをもらって前へ進む。
ランチはモンジョから10分ほど進んだ先の村(ジョルサル)でとった。トマトスパゲッティーとコーラ。
日差しが強くて日向にいれば15度以上の気温に恵まれる。高度は未だ2650M。
ところで、アンナプルナと違って、すっかり中国人の姿を見なくなった。
やはり旧正月のホリデーが終わったからなのか? それともエベレストには興味が無いのか??日本人はまれにすれ違うようになってきている。
前述の通り、ナムチェまでの高度さを考えると、ところどころ登りがかなり急で苦しくなってきている。
途中、ナムチェを目的地にして登っている高知から来た30代程度の女性と、日本語を話すガイド兼ポーターと出会う。
休憩の際に話をしたが、ネパールは5回目。ナムチェは初めてだそうだ。 苦しそう…
急な登りが何度か続き、その後ダラダラと坂を上ること6.5時間。ようやくナムチェに到着。最後の30分はきつかった~。
ナムチェの村(ここは街と呼べるサイズ)の入り口にセキュリティーゲートらしきものがあり、身分証明と入境許可書を提示する。そして入境。
ナムチェ(またはナムチェバザール)は想像以上に大きな街。建物も石を積み上げた立派なものばかりで、ネットカフェ、お土産店、雑貨屋、山岳ショップ、CDショップ…何でも揃う勢いだ。
各方面からの山道がナムチェで交差する重要なポイントだけに、この大きな町の形成となったのだろう。
入境地点での高度は3440M。街はもちろん急坂に建物が立ち並んでいるので、宿泊先のロッジの標高は3500+Mと思われる。そろそろ高山病に注意は必要だが、今のところ症状らしきものは出てきていない。
ロッジに荷物を下ろし、早速ネットカフェへ直行!おそらくエベレスト街道でネットが利用できる最高地点と思われる。高度が増しているので、値段もそこそこする。30分で450Rp。60分だと600Rp。 まぁ、日本に比べればたいした額ではないし、しかも日本語をしっかり対応している。すばらしい…というか、いかに日本人が訪れるかということだろう。
ロッジに戻って確認すると、Hot Shower Available!!の文字! ラッキー!
早速洗面道具片手にシャワー室へ(トイレと共用だけど、トイレは何と洋式だ!)。
ここのシャワーはガス瞬間湯沸かし器方式なので、時間が経っても温度が低下する心配はない。
水圧に若干問題ありだが、そんなことは言っていられない。熱いシャワーが浴びられるだけありがたい!!
高度3500Mでネットカフェとホットシャワー…ありがたいの一言。日本の山ではありえない。
18:00頃、ダイニングのストーブで暖を取りながら、なぜか各国のゲストに同行しているガイドやポーターたちとラキシーで酒盛り。外国人(僕以外のゲスト)にはラキシーは駄目なようだ。 そう、これは焼酎のようなものだから、特に欧米人の口には合わないのだろう。乾杯のオンパレード!(高山病が心配…)。
夕食は(またチキン)チキンのスチームスライスとチップス(ここで言うチップスは英国風チップスなのでフライドポテト)とライス。 &サンミゲル。 若干飲みすぎ。でもおいし~。
ネットカフェからの帰り道で、お土産店で毛糸の手編みの靴下を買った。とっても暖かそうで、普段ロッジで靴下の上にはける程度のサイズがある。250Rp。
とにかく部屋の寒さは尋常ではないので、その対策を兼ねて購入。 あったかい!
今晩からはこれもはきつつ寝ることができる。(そう、靴下は履いたまま寝ないと寒くて耐えられない)
携帯は相変わらず、通話OK,メールNGで変わらない。
明日も高度順応でナムチェ滞在。でも、400Mほど上のエベレストビューホテルを訪問し、エベレストを拝ませていただく予定。
2010年2月19日
6:45起床。
天気は快晴。 まったく持って乾季のヒマラヤのお天気はありがたい。
7:30に相変わらずダイニングルームで朝食。チャパティー(ナンのようなものとミルクティーで冷えた体を温める。
今日はさすがに寒い(高度も上がっていることを肌で感じる)。
おそらく-5度程度だろう。カラパタール(約5000Mから戻ってきた同ロッジに宿泊中の人に聞くと)強風かつ気温マイナス25度以下で、数分いるのがやっとだったと。。。そして、エベレストベースキャンプには今のところキャンプを張っているパーティー(エベレスト登山隊)はいないとのこと。恐ろしいことを聞いてしまった…。
それにしても右ひざの痛みが引かない。暇さえあればマッサージはしているのだが…
今日はナムチェ2日目。周辺の散歩とエベレストビューホテル訪問で高度順応。
昨夜から若干頭痛気味。高山病にで無ければいいのだが。。。痛み止めを飲みつつ様子を見る。
さらに、鼻水も止まらすまったくイライラ。
単なるラキシーの飲みすぎによる二日酔いの症状なら良いのだけれど(笑)。
9:00に近所の博物館とビューホテルに向けて出発。
高度順応があくまでも目的。 20分ほどの軽い登りでMuseumに到着…が、なぜか今日はクローズ。
ここには歴代の登山家の写真や登山用具の変遷などが見られるはずだったらしい。
日本人で初めてエベレスト登頂を成し遂げた、尊敬する植村直己氏の写真ももちろんあるらしい。残念。
でも、この博物館前の広場からエベレスト、ローツェを遠くに見渡すことができた。感激。 周囲の山に守られながら、悠然と世界一を誇っている。 すばらしい眺めだ。
高知から来ていた一人旅の女性ともここで再会。彼女もこの後ビューホテルに向かうというので同行することにした。
ビューホテルはせいぜい30分くらいの徒歩圏かと思いきや、とんでもなかった。
急な階段状の坂をひたすら高度を上げる。 苦しい。 頻繁に立ち止まっては息を整える。
途中の景色は圧巻で、一部は360度ビュー! 疲れが吹き飛ぶ。
結局2時間かけてホテル着。
ホテルに向かう途中でついに富士山の高度を越える。ホテルの所在高度は3880M。
ホテル入り口の自動ドア!につながる最後の石段は72段。苦しすぎる~~~。
ホテルは前述どおり、日本人経営のすばらしい近代的建築。
チェックインしていた浜松から来たという老夫婦に聞いたところ、一泊二食で二人で275USDだそうだ…スゴッ。
僕のロッジは一泊100Rp。食事別なのに。
展望テラスでアサヒスーパードライを頂いた。350Rp。
エベレスト、ローツェを含むエベレスト周辺の山々が見事な光景を見せてくれる。このホテルに泊まるのは確かに贅沢のきわみだ。
帰路、急な下りに右ひざかばいながら、一歩一歩ストックでフォローしながら高度を下げる。
高山病的症状はまったく無くなった。 ロッジに13:00に到着した。
遅めのランチにチキンカレー(また?)をオーダー。実際にはつけあわせを考える、ダルバートとなんら変わらない。
飲み物はスプライト。
ロッジでのランチ後は周辺散歩。メインストリート?と呼ばれるにぎやかなお土産店の並ぶ通りを散策。エベレスト周辺の登山道が描かれたバンダナ、Tシャツをゲット。でも、キーホルダーは見当たらない…ほんとにニーズは無いのかな??
ようやく見つけても「NEPAL」と書いてあるか彫ってあるだけ。せっかくナムチェにいるのに!
ロッジに戻ってシャワーと着替え。昨日より気温がさらに低く、日中で日が出ているにもかかわらず気温はおそらく0~3度程度の体感。ただ、時間が進むにつれて雲が増えてきている。
夕食まで相変わらずするともなく、ダイニングルームで本を読んだり、ルートマップを再確認したり、ロッジのスタッフが見ているヒンズー語訳のアメリカ映画(ホラー)のDVDを見たりして時間をつぶす。もちろんヒンズー語などわからないけれど。
夕食前にようやくストーブに日を入れてもらえてダイニングルームがほのかに暖まる。
今日の夕食はビーフステーキ!とモモ(チベット風餃子)そしてカールスバーグ。
ビーフステーキ…。想定はしていたが、ゴムのように硬かった…それと、カールスバーグごときではあるが、
やはり高度が高いせいか、若干頭痛を誘発する。
携帯(使いはしないけど)、カメラの充電はこの高度になると有料。一時間100Rp。
やむを得ず100Rpで「安心」を買って充電。部屋に戻って明日の準備。
明日は6:30起床。7:30朝食、8:30出発でガイドと同意。
2010年2月20日
6:30起床。
天気は快晴。 気温は0度を下回っている。
正確に述べたいが、腕時計の気温計は体温の影響を受けているので、あまりあてにならない。
7:30に朝食。ベジタブルオムレツとブラックティー。
出発準備に入ったところで、洗面所の蛇口から水が出ないことが判明。。ゲッ。
仕方なく、ロッジのスタッフから洗面器にお湯をもらって洗顔、歯磨き、コンタクト着用などを済ます。
が、手元の鏡が小さいのと、手がかじかんで、なかなかコンタクトが入らずイライラが増してくる。
ナムチェを8:30に出発。最初の20分は急峻な登りをひたすら無言で登る。苦しい....
が、そこを抜ける巻き道のように山を回り込むような比較的up downのない平坦なルートの連続になる。
その場所場所でエベレストが姿を見せてくれる。疲れが飛ぶ!
その先は一度谷に降りてから次の山に登らなくてはならないので、3500Mのナムチェから、3250Mまで急な下りをひたすら下る。右ひざにこたる…。
ようやくなまで折、沢を渡ったところでランチ。
Phungi Thangaという集落(村?)。
Frid Riceとコーラをオーダー。この周辺でFrid RiceやFrid Noodleをオーダーすると、実物が見えないほどヤクのスライスチーズがパルメザンのようにかかって出てくる。断るオプションは無い。
高度3250Mだが、気温は15度くらいはあるだろうか。日差しが実に暖かい…が、紫外線には注意。
今日のゴールはTeng Boche村。高度3860Mなので、ランチ後距離は短いものの、600Mの高度差をクリアしなくてはならない。ぞっとする。
この登りは今までの中で一番キツイとレベル。
まあ、それよりすごいのも後から実は出てきたりするだろうから、やむなしと割り切って進む以外ない。give upのオプションはない。
実際にアタックしてみると勾配はきつく、距離も意外にある。
10分登って1分休憩程度のペース(しかもスロー)でないと勧めない。
おかげで下りだけに影響の出ていた右ひざに若干違和感を感じ始めている。
富士山で言えば8合目から山頂を3往復した感じ。高尾山の高度差と変らないが、10回ノンストップ、しかも小走りで登り下りし感覚。 そのくらいキツイ…ん~文章では伝えにくいこの苦しさが何とも歯がゆい。
14:30 Teng Boche到着。ロッジは高度が高くなるほどシンプルになってくるのがわかる。
部屋mシンプル。 ちなみに、ロッジの部屋鍵は、どこのロッジの南京錠タイプ。
ここにはさすがにシャワーはなさそうだ。
高度3860M。
17:30、カラパタール/エベレストベースキャンプ(EBC)から下りてきたUKのグループ11名がかわるがわる外にあるシャワーを使っていることが判明! シャワーがある!
天井にタンクがあって、そこにロッジのスタッフが沸いたお湯と敵ふぉの水を混ぜて補給する。それが、下のシャワー室に引力に導かれ落ちてくるといういたって原始的なシャワー。でもシャワーには変わりなく、ありがたい!
おそらくこれが登り最後のシャワーになるだろと思いつつ、シャワーを使わせてもらう。
が、何と頭を洗っている最中にお湯がそこをついた。。。。頭は泡だらけ。。。あきらめるわけに行かないので、大声で「Excuse me!! no hot water now!!」5、6回叫んだらようやく気がついてくれてお湯を天井のタンクに足してくれた。 助かった~~。何しろUKチームが大量に使っていたので、僕は最後のユーザー。ほぼ忘れ去られた感あり。(ムッ)。
夕食はチキンカレーをオーダーしたが、約もch金も含め、見狂いは今日は在庫が無い…との回答。ショック。
仕方なくベジタブルカレーに切り替え。 やっぱり魚類はないよね~。この山奥で…。
夕食前、ロッジ横(この村には4件のロッジがあるだけ)のチベット寺院の夕方の儀式を観に出かけた。
チベット仏教の寺院で、この高度によくも作った!と思えるほどの立派な建物。
中に入って礼拝らしき儀式を見学させていただいたが、チベット仏教らしい隠微さと奥深さがなんとも言えず印象に残った。彼らはこ高地で一生を過ごし、毎日礼拝を欠かさない…
彼らとはいったい何なのか、宗教とはいった何なのかを改めて考えさせられる。
予断だが、TBSのTVクルーが総勢12名で僕と同じルートを3月4日から取材するらしい。
僕の使っている現地エージェントがケアする契約になっているそうで、僕のガイドは行く先々でロッジの予約に余念が無い。
12名中2名は1人部屋を希望とのことなので、もしや芸能人が同行する取材旅行記なのかもしれない。
誰だろ~???
小さいロッジに11名のUKチーム、2名の中国人チーム、それと私。 さらにガイドとポーターなので、夕食のキッチンは大忙し状態。 僕のオーダーしたベジタブルカレーもまれこれ1.5時間出てきていない。
また、忘れてはならないのは、日本でも世界でもその名を残した有名なアルピニスト加藤保男氏についてである。
氏は、春、秋、厳冬期に渡って単独エベレスト登頂を果たし、最後の厳冬期東南陵からの下山途中に連絡を絶った。視の冥福を祈り、この地に異例の石碑が設けられている。外国人としてこのように扱われるとは異例で、彼の存在意義を改めて思い知らされる。合掌。
2010年2月21日
5:45起床。
6:15に起床するはずだったが、寒さで目が覚めた。室内気温はマイナスを大幅に下回っており、
テーブルに置いてあったドコモの携帯は寒さでバッテリーがゼロになっている(昨夜充電したばかりで使用もしていないのに…)。目覚まし代わりにもならないプラスチックの塊と化している。
7:30に朝食で、8:30に出発予定。
とにかく今日は特別寒い。
ちなみに日本人女性1名がとまってるらしいのだが、昨夜も今朝もダイニングに顔を出さない…?不思議。
全室でも20室の小さなロッジなので、見かけても良いようなものだが…
通常のロッジは朝にはストーブに火を入れてくれないが、このロッジはさすがに火が入っていた。うれしい!
早速暖をとりながら朝食を待つ。
今日の目的地はDing Boche村。 高度4410Mまであがる予定。
出発直後の最初の30分が急な下り坂で右ひざが気になったが、ストックコントロールでどうにかカバー。
その後上り坂に転ずる。
高度が4000Mを超えているためか、休憩時に頭痛などは無いものの、脈拍が100を超えている。高山病になりかけているシグナルの一つだとガイドから注意を受ける。
注意を受けてもどうにもならない…心拍数をコントロールすべを知らない。
あわせて、一歩一歩の歩みが重くなる。すり足で歩幅程度の速度でゆっくりペースを保って前へ。
いずれにしてもここは登山道ではなく、地元民の生活道路。ひっきりなしにゾッキョや馬が荷を積んで行き交う。
11:15 Shomareという小さな村に到着。ここでランチ。
ツナ入りマカロニ…とあるがどんなものなのか、魚介に植えているだけにチャレンジしてみる。
知名mに飲み物については、高山病対策上、ナムチェ以降ガイドの勧めもあって、アルコール、コーヒーは控えてる。ジンジャーティー、レモンティー、オレンジティーがよいらしい。
ところで、今、4000Mを歩いているわけだが、一泊二日で3800Mの富士山に余裕で聞けることをふと頭に思い浮かべる。何が違うのか?
今回の最終目的地カラパタールはエベレストを直下で見上げられる絶好のユーポイント。
そこはおよそ6000Mの高度がある。
そこにいたる道のりは、一つの山を登る感覚ではなく、いくつもの山を登り下りして到達する感のものである。
言い換えれば、富士山5回、北岳3回分以上を数日かけて目的地に向かうようなもの。
日本で想像する一般的な山登りとは100%性格のちがう登山、トレッキングだ。
エベレストはそもそも全貌を見渡せる場所はどこにも無く、その上層部だけを周囲の高山に囲まれて隠れている。現地の日といわく「隠れ山」なのだ。 世界一なのに…
食後、登りが続いた後、荒涼とした平坦な大地帯にでた。
30分ほど続くダラダラとした平地のあと、また登りが訪れる。そして一旦下って沢を渡り、ようやくその視線の先に本日の目的地Ding Bocheの村の屋根が見え始めてきた。
村は結構大きくて、ロッジらしきものが点在するタイプの村で、牛などを飼って生計を立てているらしい酪農家(ロッジも併設)が多いようだ。村の入り口付近から、自分の宿泊するロッジまで20分くらいは歩いただろうか。すでに高度は4400Mを超えているが、日がよくあたり、風も無い穏やかな土地なので、気温は想像移住に高い。おそらく15度くらいはある。この日を浴びて、ロッジのダイニングはポカポカで、14:30に到着後、乾かしたい衣類を六時前の石畳に並べて干した。
その後1時間。ポカポカのダイニングの長いすで昼寝。疲れがじわじわ出てきているのが体で感じられる。
心拍数は落ち着いているが、頭痛が若干抜けない。 ガイドは「ダルモックス」という、高山病に効くとされる薬を常に携行しているんで、あまり痛みが続くか、強くなったらもらうことにしよう。
それにしてもシーズン前ということもあって、村には人気も無く、穏やかそのもの。
16:00現在、この30室程度はあるロッジのゲストは僕だけ。
まかなっているスタッフも時期が時期だけにロッジの主人一人で切り盛りしている。
娘が二人要るそうだが、共にカトマンズの学校に寄宿生活中。奥さんは病気でカトマンズで同じく入院生活中なのだそうだ。
18:00に夕食をオーダー。ついに!「ヤクのステーキ」を頼んでみる。でも、19:30になっても出てくる気配が無い…。やれやれ。
ようやく19:50にヤクステーキとライスが出てきた!トマト風ソースがかかっていて見た目は確かにステーキだが、少したたいて薄くした感じ。
味は少し香ばしく、ラム肉を思わせる臭みがある感じ。でも、硬くは無く、意外に柔らかく口に合う。
食事が終わっても新しいゲストは結局現れず、このロッジの今夜のゲストは僕だけ。
twinの部屋を二つ?用意してくれて、荷物置き場と寝場所に使っていいとのこと。
空いていると何かとありがたい。
すえての電力はソーラー発電。 よって、部屋には電灯はあるものの、明るさを感じるほどの明かりを提供してくれない。ヘッドライトが役に立つ。
ちなみに、バッテリーの充電をお願いしようと思ったら、一時間500Rpだといわれて、今日はあきらめた。
カメラ君、がんばってくれよ~。
ロッジの主人が教えてくれた。 カラパタールとは「カラ」ネパール語で黒、「パタール」同じく岩の意味なのだそうだ。確かに写真で見たカラパタールは黒一色の一枚岩風だった。
2010年2月22日
7:30起床。
高層に雲が少しだけあるが晴れ。気温はおそらくマイナス。昨夜は寒さゆえに、寝袋にブランケットを賭けて寝たにもかかわらず、寒さで何度も目が覚めた。毛糸の靴下を登山用靴下の上にはき、長袖のフリースを長袖の下着の上に着てねたにもかかわらず。 高度を感じた。
夜のトイレは行かないに越したことはないが、これは生理現象…。やむなく行ったが、寒さと暗さに耐える心構えと気合が必要。
8:00に朝食。 フレンチトーストとミルクティーと、その後のジンジャーティー。
就寝中に若干無呼吸な症状があるのか、朝方にかけてここ数日頭痛がする。バファリン程度の頭痛薬で落ち着くが、おそらく無呼吸が原因で十分な酸素が取れていないことが原因だろう。
今日は特に予定は無く、単なる高度順応でこのロッジに世話になる。
数日間お歩き通しで疲れも溜まってきているので、ちょうどよい休息日だ。
本を読んだり(読み終わった本はロッジにおいてきた。次のトレッカーのために…ちなみに日本の文庫本がすう札すでに置いてあった)、メモを書いたり、地図を眺めてルートの再確認をしたり、外の景色を楽しんだり、とにかくゆっくり休日を満喫する。これで温泉でもあったら最高の休日なんだけどなぁ~~。
影の日向では気温は大きく違うのが3500Mを超えてからの乾燥。
残雪は必ず目にするし、まだまだ高い山々には万年雪(氷)がべったり張り付いてはなれない。
もちろんエベレストもその他の山も。6000Mを超える山はみなそんな状態。岩と氷で覆われている。
その黒と白のコントラストがなんとも迫力を見出す。
ランチはMixed Hush Brown。この地域の農作物はポテトだけと聞いているので、まさに現地産ポテトで作られている。その他の食材はすべてナムチェからの荷揚げだそうだ。
米30キロをナムチェから荷揚げするとコストは6000Rpとのこと。
そのすべてはジョッキョなり人が荷揚げする。
11:30にオーダーしたHash Brown は12:30に出てきた。
とにかく一部でもつくり置かれたものが無いので、基本はオーダーを受けてからすべて一から手作り。時間もかかるわけだよね。
13:00現在、今日もゲストの到着する様子は無い。今晩も貸切ロッジになりそうだ。
主人と片言の英語で話してみると、Hot Showerがあることが判明。日没までにシャワーを浴びて、暖炉(ストーブ)で体を温めたまま夕食に備えたい。
なんといってもやることはな~んにも無いのである。
13:00~14:00、またダイニングルームのポカポカ日向で昼寝。
14:30にシャワー! ガスのシャワーと効いたはずだったが、結局はまたもや天井のポリタンクのお湯を重力を利用してシャワーにしているだけ。無いよりはましだが、またお湯切れ…にならないように超高速でシャワーを完了させる。
終わってダイニングに戻る。
変った様子はあるわけもなく、のんびり平和な一日が続く…
ロッジには主人と我々だけで、外に人影も無く、まれにヤクが遠くでカウベルをならしている。
曇りがちではあるが日は出ているので洗濯物や濡れ物を石畳に並べて乾かす。
今日はほぼ一日ダイニングでゴロゴロ。隣でポーターがいびきをかいて昼寝をしている。
さすがに彼だって疲れるだろうし、かといってやることも無い。
ガイドはこんな時間を利用して、今までのロッジでかかった費用などなのだろう、一所懸命清算作業を行っている。
18:30 夕食オーダー。
カレーライス(そのまんまのネーミング)とスプライト。
本当はビールが飲みたいけれど、高山病予防のためここはこらえる…。 苦渋の選択。
できればチキン入りカレーが食べたいが、気がつけば、高度4000M以上で鶏の姿を見かけなくなった。
彼らの生存高度の限界なのだろうか??
18:00にようやくストーブに火が入る。
夜のダイニングルームらしくなってきた。
ただ、部屋の明るさはダイニングルームとはいえ、ソーラーパワーの電灯なので、いまひとつ「明るい!」というところには達しない。全体的に薄暗い。
2010年2月23日
5:00起床。
朝食は7:30だが室内気温が低すぎいて、寒さで寝ていられない。
出発時に近い服装に着替え、再度寝袋にもぐりこみ、6:30まで寒さをしのぎつつ体を休める。
6:30に洗顔、歯磨き、パッキングなどを開始して、7:00にダイニングルームへ。
ダイニングルームは窓が大きい分、日が少し当たって部屋に比べれば暖かい気はするが、マイナスであることに違いは無い。朝はストーブに火は入らない。 寒い。
ホカロンで指先を暖めながら、何とか朝食前のメモを取っている。
朝食はフレンチトーストとレモンティー。
今日は4910MのLobche村まで高度を上げる。
頭、のど、右ひざに痛みを感じる。
8:15出発。
最初の30分はダラダラとしたのぼり。その後、草原(といっても草が一面というわけでない台地)のような広い台地を左と正面に7000、8000M級の山を眺めながら前に進む。
高度差は無いが、小刻みにのぼり、下りを繰り返す。
沢を越えたところ(Thukla)に10:30に到着。時間は早いがこの後ののぼりがキツイとのことで、ここで早めのランチ。 Tuna Fried Noodleをオーダー。高度4610M。さすがに何をしていても息苦しい感じになってきた。
11:15に出発。
Thukla Passと世荒れる難所。急峻な岩山を這い登る。peakはおおよそ見えてはいるが、距離はかなりある。これは確かに難所である。
急峻な分、一歩一歩でかなり高度は稼いでいるが、とにかく酸素の薄さを実感する。
思うようにピッチが上がらない。 苦しい...。
ようやくPeakに達したときは息絶え絶え。
Peak後は氷河帯に出る。
氷河の脇を登り下りの連続で、しかも北斜面側は残雪が多く、ぬかるみあって歩きにくいし、一部はクレバス状になっていて危険を感じる。
頭痛がひどくなってきた。 あのThukla Pass越えで一気に高度が上がったせいだろうか。
Lobcheについたらジンジャーティーでバファリンを飲もうか?それとも寝る前に「ダイナモックス」をそろそろもらって飲もうか?悩み始める。
とにかく標高は5000Mのロッジに到着。
窓の外は植物はもはや無い。カラス(どこまで生命力が強い生き物なのだ!)は悠然の空を闊歩しているが、ゾッキョなどの荷運び用の動物も姿を見なくなった。
そんな中、90キロだという酸素ボンベを運んでいるポーターを発見(絶句)。
ガイドいわく、5000Mまでナムチェから運んでおよそ10000Rp程度が手元に入るらしい。3日~5日はかかる。
この時点で外気の気圧は556mhp、地上の半分。
頭痛に効くといってロッジの人がガーリックスープを作ってくれた。実にやさしい。
15:30曇り空から雪が舞い降り始めた。 寒いわけだ。
この雪かなりマジな感じ…いつまで降るんだろう。 乾季なのだからとっととやんで欲しい。と願う。
明日の予定が極めて心配になる天候だ。
このロッジは17:00にストーブに日を入れてくれるそうなので、それまでは暖かい飲み物でもオーダーしてじっと我慢でするのみである。ウォッカを飲んでいる場合ではないし…
今日のロッジは人が多い。10名ほどはいるだろうか。
頭痛がなかなか抜けない。 数日便秘が続いているのも原因ではないかと自己診断。
でも、残り200M上のロッジまでたどり着き、そこから約600M上がれば目的地だ!あきらめるわけには行かないが、反面無理をしてとんでもない迷惑をかける事態も避けなければならない。
何とか予定通りに進みたい!
2010年2月24日
6:15起床。
恐ろしいほど寒い。マイナス10度以下に違いない。
寝袋だけではとても寝れる寒さではなく、寝袋の上にブランケット2枚を借りて寝た状態。それでも寒い。これから上がる上のロッジはどれほど寒いのだろう…。
心配していた(苦しんでいた)頭痛は、あらゆる常備薬の組み合わせ?で朝には引いていた。
頭痛がひどくなるようであれば下山も想定に入れていただけに助かった。
バファリン、ロキソニン、ボルタレン、ダイナモックス。それでも朝方までは痛かった。
今日はGorak Shep(最高地点のロッジ)まで登り、そこに荷を降ろしてEBCへ向かい、戻ってきてロッジ泊の予定。そしてその翌朝は夜明け前に出発してカラパタールまで登り(ゴ~~~ル)、その後ロッジでで朝食だけ済ませて早速下山になる。
朝食は高度と体調(食欲があまり無い…。これも高山病の症状だけど)を考慮してスープとお茶にした。
トマトベースのミネストローネのようなスープに卵が落としてある。いかにも西洋風だが体の芯から暖まる。
昨日の雪とは打って変わって快晴。ありがたいが、外の寒さを考えると恐怖。
8:30出発。2時間暗いと思いきや、昨夜の残雪と想定を越えるアップダウンで完全にばて気味。しかも、朝食がスープだけだったのはよくなかったと反省。休憩をこまめに取り、ゆっくり歩くことに心がける。
5400M~5500Mをウロウロしているわけで、呼吸が苦しく、めまいと頭痛が襲ってくる。
11:15最高地点のロッジ着。すぐにランチを終えてEBCへ向かう。往復4時間の比較的遠距離(地図で見るとたいした距離に煮えないけど…)。
甘く見ていた…EBCとロッジとの上下差は200Mそこそこ。しかしルートは登り下りが連続する半端でなく険しい道。(疲れているから余計にそう思う)酸素不足でまだかまだかと足が叫ぶ!
EBCはすべてのエベレストクライマーがベースキャンプを設置する広場であり、ある意味聖地。すぐ横は大きな氷河が流れている。
場所としてはかなり魅力的な場所で、到着に感動を覚えたが、エベレストを登る人々はここがようやくスタート地点。ここから標準で6つのキャンプを頂上付近まで張り、最終的に山頂へアタックする。つい最近も日本の青年が単独無酸素で試みたが、残り数百メートルで撤退している。簡単には地被けてくれない。
恐るべし、エベレスト。
確かに4時間戻ってはこれたが体はボロボロ…行かなくてもよかったかも?などと若干弱音と本音が入り混じる。
何しろここで疲れを残しては、最終目的地カラパタールへ明日の早朝昇れなくなる。明日は5:30出発だ。
いよいよ目的地は目前である。楽しみでたまらないが、EBCの疲れが体中に残る…19:00には寝袋に入った。
2010年2月25日
3:30起床。
寒さでおきた。外気はマイナス20度以下、室内でもマイナス10以下は確実な寒さ。ポカリスウェットがガチガチに凍っている。
ヘッドライト、カメラ、手袋、帽子、ネックウォーマーなど、万全な体制で臨むが、やはり昨日のEBD訪問が足腰にきている。
5:30いよいよ出発。最初の10分は平坦な雪道、その後急峻なまさにカラパタール(黒岩)を延々のぼり続ける。
苦しみの限界を迎えつつもその先のゴールが見たい気持ちとで葛藤する。
もう、ダメだ。ここまで来たからもうよしとしよう…などと真剣に考える。
本当に。
思うように足が前に無い、息が切れる、頭の指示が体に反応を及ぼさない。大きな岩を見つけてはしがみつき腕の力も加味して上を目指す。苦しい。 前方に先発したカナダ人とデンマーク人が同じく苦しそうに、でも着実に前に進んでいる姿が見える。 負けられない。 ポーターもガイドも、場所によっては腕を貸してくれる。うれしいが体はそれにこたえられない。 少し休ませてくれ…何度この言葉を発しただろうか。数など数える余裕などどこにも無い。
やがてカラフルな旗(現地の宗教上の旗で、万国旗のようにある地点からある地点に結んでいる)の頂点が見えてきた。頂上だ。
ついに来た。6000Mのカラパタールの頂上だ。 うれしい!でも、喜びもつかの間、其の場に座り込む、いや大の字に寝そべる。もうこれ以上登らなくていい。ついに来たんだからパタールへ。 数分の興奮が落ち着き、ようやく気色を見渡せる余裕が出てきた。 すごい。すごすぎる。 360度山しかない。しかもすべてが6000~8000メートル級の山ばかり。エベレストも頂上付近に黒い雲がかかっているがその大きさを見せ付けてくれている。夢でも見ているのか、こんな景色ありえない。想像すらできない景色に囲まれている自分(人間)の小ささと、これを見たいと思ってここにやってくる自分(人間)のそれぞれに尊敬の念と誇らしさを感じる。
時間は少々多めにかかったがやってきた。ガイド、ポーター、それにがんばった自分に感謝とありがとう。
山はすばらしいが、ここまですごいと表現のしようがないこの360度大パノラマ。
デンマーク人の2人組は何を思ったか、突然衣類を脱ぎだして丸裸になってスナップショットを取っている。
ヨーロッパ人(欧米人的ジョーク)の、ものに対する寛大さ(あってる?)にある意味敬服。
さあ、下山だ。30分もいなかったが、十分に満足の行く頂上でのステイだった。
下山後、朝食をとらずに荷物をロッジでpick upして直接Lobcheへ向かう。
14時に到着、Lobcheでランチとなる。
ランチ後今日の宿となるThuklaに向かってさらに高度を下げてゆく。
およそ2.5時間の歩きでThuklaに到着。
Thuklaへの道はそれほど厳しいものではないが、何しろ昨日のEBCと今朝のカラパタールで体中のエネルギーはマイナス状態。エネルギーが無い中、足だけが前に出ている状態。重い、とにかく足が重い。緩やかなくだりだというのにスイスイと足が出ないのだ。
12:30にLobcheでFrid Riceを無理やり食べ(食欲は無いが食べないと動けなくなる)エネルギー補給にする。
Thuklaには16:00に着いた。夕食までのわずかな時間だが昼寝をすることにした。気がついたときは18:30。夕食にしなければ…
ダイニングルームでmix pizzaをオーダーしたが、量が多すぎて(食欲もなく)半分でGive Up。ポーター喜んで残りを食べてくれた。
ちなみにこのロッジにはガイドもポーターもつけないトレッキング初心者だという日本人青年(といっても30代半ば程度)が一人で泊まっていて、これからカラパタールまで行くという。ものすごいチャレンジャーぶりに拍手。会社を辞めてきたそうだ 。。。
明日は8:00朝食でPang Bocheへ向かう。
Pang Bocheまではおよそ4時間なのでショートコースだ。
その次の日はナムチェ、そしてその次の日はルクラ。
ルクラでは空港横のロッジで一泊し、翌朝の便でカトマンズへ戻る。
旅もいよいよ大詰めだ。
今日の高度は4300M 。行きと違って6000Mを経験しているだけに呼吸が極めて楽でうそのようだ。
人間の自然への順応力は見捨てたものではない。
2010年2月26日
6:30起床。
外気マイナス20度、室内マイナス13度。
寝袋(比較的極地仕様)とブランケット2枚、帽子、靴下2枚をかぶっても足先、指先が千切れんばかりに痛い(寒いのではない、痛いのだ)。
今日はPang Bocheまでのショートコース。
風邪気味でのどが痛く、妙に咳と痰が絡むのが気になる。
ここのロッジは建物内にトイレが無い(正確に言えば、壊れていて使えない)ので、100Mほど離れた場所にある臨時?の小屋風のトイレを使う。昔の日本の家屋(田舎)みんなこうだった。
したがって、夜間にもようした際には、マイナス30度に耐えて出かけるか、朝まで(若干気温は上がる)我慢するかのいずれかの選択。僕は後者を選択し我慢した…寝袋から午前3時に起きて出てゆく勇気(寒さに対して)はない。
朝食はベジタブルオムレツとレモンティー。体が温まる。
ちなみに…こんな寒さだが、ロッジのスタッフや地元のポーターは基本的に素足にサンダル履き。
見ただけで寒さを感じるが、彼らにとっては日常なのだろう。これも人間の自然への順応力か…
僕のポーターもたぶんにもれず5000M程度までは素足に突っかけサンダルだった。
登山靴で挑んでいる自分とのGAPに唖然…。
全体的に体力がかなり消耗していることが素直にわかるようになってきている。
今日を入れて後3日歩く。持つだろうか、いや、もたないという選択肢はないけれど。
しかも残りのそれぞれは基本的にはくだりということもあってロングコースが続く。
右ひざがきわめて心配。
ランチの際にガイドに一つの提案をした。
今日の予定目的地を、Pang Bocheでなく、一つ先のTeng Bocheまで延ばしたい。
そして、翌日の宿泊先もナムチェを通過してMonjoにする。そして歩きの最終日をMonjoからLuklaにしては同だろうという提案だ。
ガイドは少し考えていたが、僕が体力のあるうちにできるだけ前に進んでおきたいと希望したため彼はOKを打ひてくれた。今日のTeng Bocheまではキツイ歩きになるとは思うが、その先の2日分に対してずいぶん貯金ができるはず。がんばるしかない。
何しろ今の体力と気力で地図をのぞくと、とてもPang Bocheからナムチェまで到着できそうに無い。
今日の肉体的代償は大きいが、やはり貯金を優先したい。
2010年2月27日
5:45起床。
ゆっくり出発準備を開始する。
高度は下がっているとはいえ、未だ3800M と富士山より高い。
外気はマイナス10度程度。朝日があたる山々は神々しく見える。
朝食はトーストと目玉焼き、そしてブラックティー。
今日は8:30に出発し、ナムチェでランチとメールチェック!をした上で、Monjoまで下る。
Monjoの次はいよいよ空港のあるLuklaだ。
Luklaの空港は夏の繁忙期以外は午前中しかフライトが無いので、前述の通り何時にLuklaに着こうが、午後である限りは一泊が必要で、翌朝のフライトを待つことになる。
Teng Boche出発後、長い下り(急)が30分ほど続き、その後川を渡ってから1.5時間ひたすら登る。
下りがあれば登りがあるのは下山中でもこのエベレスト街道の掟のようだ。
峠と谷をいくつも越えて、ようやく12:10にナムチェに到着。行きに宿泊したロッジに立ち寄りランチ。ベジタブルモモ。
食後に久しぶりのネットカフェ!メールが溜まっているが時間との金額的にも、この後の下山計画的にも時間との勝負なので必死に読んで書く。およそ30分で十数通のメールを書いて送信完了!
これでナムチェとはお別れ。Monjoへ向けてさらに下山開始。
Monjoまでは川原のような道をたどりながら進み、17:10に到着。道中はつり橋あり、上下差ありの比較的ハードなコースだった。
それでも、今日Monjoまで下りたことは、明日のLuklaへの行程が短く楽になった証拠。ホッとする。
午後になって霧雨にはなったが、レインスーツを着るほどにはならず、本降りになる前にロッジには入れた。
その後大雨! 何とラッキーなことか。
そろそろ(まだまだなのに…)寿司が食べたくなってきた。寿司の禁断症状。 もう下山して帰国できる可能性が高まったためか、夢?を見ている自分が情けない。 旅はまだ終わっていない…
シャワーも完備された西洋風な素敵なロッジ。暖炉の周囲でお花が栽培されていて、今まで泊ったロッジの中で一番ヨ~ロピア~ン。
2010年2月28日
6:00起床。
早速パッキングを開始する。
毎朝のことだが、寝袋で寝起きしている限りこの寝袋の収納が面倒だ。空気を十分に抜いて、丸めて、カバーに押し込んで、カバーについているロープでギュウギュウに締めてコンパクトにする。
僕の寝袋は残念ながら(コストの問題上)化学繊維入りの寝袋なので重さが2Kg程度ある。これが、値段3倍程度だせばオールダウンで重さは何と700gになる。本来ポーターを使わないトレッキングであれば、無理してでもダウンを選んだと思うが、背に腹は変えられず、この寝袋になった。それでも新素材とやらで、保温効果はダウンと差は無く、外生地も伸縮するので、寝返りなどが撮りやすいし、膝の曲げ伸ばしも楽チン。
と、寝袋話になってしまったが、今回の行程でもっとも熟睡できたのがこのロッジだった。
確かに高度2800Mなので空気も濃く、呼吸がしやっすぃせいもあるのだろう。
気温は外気がマイナス3度程度でそれほど寒さを感じない。
喉の痛みが続いているので、ジンジャーテーとベジタブルオムレツ、それにオレンジジュースの朝食。
MonjoからLuklaはおよそ5時間。
Monjoの高度とLuklaの高度はほぼ同じで2800M。
でも、下山途中の高度は低いところで2500Mまで下がると地図にはある。
ゆえに、最初は下り、最後のLukla到着前は300Mの登りを覚悟せねばならない。
300Mの上下など、もはやなんとも無い…といいたいところだが、さすがに疲れのピークを迎えているだけに、体力的に心配は尽きない。
まあ、フライトはいずれにしても明日だし、今日中にLuklaに着けばいいや…と開き直ってゆっくりペースでいざ下り始める。
途中のランチでチャパティーとオレンジジュースをかきこんで、14:30に無事Luklaに到着!!
とりあえずもう歩かないでいい…。とりあえずトレッキング(歩きのパート)は無事終了~~!!
来た時は何も無い小さな村に見えたが、今思えば何でも揃う大きな村だ。いや、街。
空路以外に外科医との接触はできない村で、ほぼすべての物資は空路運ばれてくる崖っぷちにある村なのだ。
陸路は車の通れる道が無いためもちろん歩道のみで、車がこれるもっとも近い村ジリまで早くて歩いて4日、通常6日かかるそうだ。想像したくない。
それでも空路では運べない一部物資、運ぶコストが見合わないものは陸路ジリから男女を問わずポーターが背に乗せて荷揚げしてくる。ある女性ポーターは全行程24日かけて上下水道用のゴム製のパイプを20M分背負っていた。
Luklaに到着してATMがあるという銀行に行くも、今日は国の大切なお祭りの日だから17:00までOpenしないと使用人らしき男が答えてきた。 ATMがお祭りで休み???聞いたことの無い事態に唖然、そして現金が底をつく寸前であることにあせる。
ポーターとガイドに渡すチップも用意しなければならないので、なけなしの40USDの現金をホテルで両替してもらう。レートは街のレートと変らないので良品的だ。
ネパールという国は個人的な印象ではあるが、基本的にぼったくる類のことはほぼないと考えていいと思う。
そして両替してできたキャッシュでまずはポーターに1200Rpのチップをあげて、これで彼とはさようなら。
もう一生会わないんだろうなぁ~。 一期一会。
いいヤツだったし、夢は英語を学んでガイドになることらしい。
まだ19歳、どうかがんばって夢を果たしてほしい! がんばれよ~!!
ガイドのRajuはカトマンズまで一緒に帰るので同じホテルで一泊。
明日同じ早朝の便でカトマンズへ。
天候により頻繁にキャンセルされる路線なので、それだけが最後の心配点。
聞くところによると、カトマンズを始発便が出発すると村にサイレンが鳴るそうだ。
すると30分後には飛行機は現れる。
空路は重要な交通手段である。
夕食にチキンカレー(また?)とシェルパスープなるスープ(これが旨い)とサンミゲル。
気持ちよく今晩は寝れそうだ。
2010年3月1日
4:30起床。
フライトは7:00。
荷物のチェックイン(というほど立派なものではないけど)が6:00。ガイドがホテルから空港までもって行ってくれて、搭乗券まで持って帰ってくる。 空港に行かずしてすべてが完結する。実に楽チン。そういえば、記録のために残しておくと、3:30頃地震があった。結構ゆれた。ネパールは自信があるんだ~と、変な感心。
7:00を過ぎてもサイレンも無ければフライトもやってこない。決して天気は悪くは無い。若干霧がかかった感じ。カトマンズ側の天候が悪いのだろうか??
ところどころ青空も見え隠れしているし、青空が広がりつつもある。
時間つぶしにホテルのダイニングで今まさにライブで行われているバンクーバーオリンピックフィギアスケートのエキシビジョンを観戦。 何しろオリンピックにはまったく縁の無いこの2週間だったし、真央ちゃんも美樹ちゃんもどづなったのかを知らない。順不同で現れる選手が紹介されるごとに、誰がどのメダルを取ったのかがわかる。。。美樹ちゃんの姿は無く、ついに真央ちゃんが紹介されてリンクへ! シルバーメダリストと紹介された....ガ~~ン。ということは、ユンソナが金てこと?? 残念だったね~。と本当に悔しかった瞬間。
ところでフライトは??
9:15現在、メドはたっていないとガイドは言う。
雲は出ているが着陸できない天気では決して無いと思う。視程も十分。
おかげでといってはなんだけど、閉会式まで全部観れた。 喜ぶべきか悲しむべきか…
11:00、フライトのメドはたたないという。 今日はダメかもしれないと、真剣に考え始める。
14:00までにフライトは再開されないと今日のフライトはオールキャンセルとなることが常らしい。
時間が刻一刻とその時間に向かって近づいてゆく…ただただ待つ。
そして13:40、エアラインから本日のフライトはオールキャンセルと連絡が届く....
最悪の事態が本当に起きた。
荷物が空港から戻され、搭乗券が紙くずになる。
6:30からロッジでスタンバイしていたのに…実に残念。 え~、ここでもう一泊ですか~??(ショック)
何しろ時間をつぶすものが無い。何かを考えないと…
ネットカフェに行ってみたが、日本語IMEを起動するとPCが固まる。なぜ??あ~、ショック。
14:00を過ぎて雨が降り出した。深夜には尋常でない大雨になった。明日の朝までにはやんでくれよ~。
もう一泊…などといわれたら気が遠くなって倒れそうだ。
雨の中をやることも無いので盛ってきた傘を活躍させて村の中を散歩。
途中、スタバに立ち寄った。無線LANが使える。ラッキー!
ロッジに戻り100Rp腹ってgoogle携帯を充電し、それを持ってスタバ(もどき)に戻る。
WEPの保護もない純粋なオープンネット。サクサクメールができてうれしい限り。
小一時間過ごし、雨が嵐に変りつつあるので切り上げてロッジに戻ることにする。
もうじき夕食。
定番?のチキンカレーとサンミゲル。いまや僕の定食と化している。
2010年3月2日
早く寝た(やることが無い…)ためか、4:30に起床。
雨はすっかり止んでいるが、今後霧が発生しないか同かが心配だ。
とりあえずガイドの努力の甲斐あって、始発便に乗れる手はずはできているが(ちなみにガイドは始発便の人数制限で次の便)、本当に飛行機がやってきて、この地から飛び立ってくれるかどうかは、カトマンズ、ルクラ両方の天候次第。 ただ祈るのみ…。
寝袋にブランケットを賭けて寝ていたので寝心地、寒さ共に問題は無い夜だったが、こんな調子が3ヶ月以上続く本当のエベレスト等の登山とはいかなるものなのか。ロッジも無くなりEBCからはテント生活を余儀なくされる中の極限状態は、味わった者にしか語れないのだろう。 野口健氏を今更ながら尊敬する。
シャワーなどはカトマンズについてからゆっくり浴びることにして(できれば湯船!)、まずは洗顔、歯磨きで出発体制を整える。帰れるかなぁ~(不安)。
体制を整えるとは言っても、ほぼ昨日の状態からアンパックしていないので、準備は楽チン。
上述通り、カトマンズで大きなwater Proof Bagを購入するつもりなので、細かいパッキングはすべてカトマンズのホテルに入ってからにする。
ちなみにルクラ・カトマンズ間はプロペラ機で30分。距離的には東京-大島くらい。
サイレンは(カトマンズを始発が飛び立つと村中に響く)いまだならない。
すでに9時。一機のチャーター便らしきヘリコプターがやってきた。
ちょうどその頃、地元の子供たちの通学風景に出会わす。こちらは皆かわいい制服を着て学校に通っている。
期待が持てるが、その後、空港に動きは無い…。
9時現在天気は快晴、無風。絶好のコンディション!
ガイドがエアラインに問い合わせたところ、カトマンズの天候が不安定で迎えに来るフライトが飛び立てない状況とのこと…え~、またですか~~~。
そして10:30を迎えたところでついにサイレン!!
11:00少し過ぎに僕の乗って帰る飛行機がついに着陸!!
すぐさま降機客と登場客の交換、貨物の積み下ろしが手際よく行われ、ついに11:30ルクラを離陸!!
右手に歩きに歩いたヒマラヤ山脈を眺めながら約30分の短いフライトでカトマンズに無事到着。
クーデター後のカトマンズには未だ国連の平和維持部隊が駐留している。
エージェントのお迎えの車でホテルへ直行! 12:10到着。
これでようやく全体の日程がぶち壊しになるリスクが一つ減った…。
精神的にものすごく気持ちが楽になった気分。
ホテルの部屋で若干アンパックして、事前にガイドから場所の確認をしておいたThe North Faceの正規代理店へ向かう。
正規代理店だけにかなり街中に比べて高額かと思いきや、意外にそうでもない!(喜)
それでも街中に比べれば3~5倍の値がついている。 それでも日本に比べれば…
結局黒のWater Proof Bagなど数点をゲットして買い物終了。
帰る途中で道端でタバコを売ってるおばちゃんから地元のタバコを5箱会社の仲間のお土産用に買った。
何と、タバコは一本ずつバラでも売ってくれる! びっくり。
前述通り僕のガイドは後の便でカトマンズに戻ってくる予定で、
戻ったら連絡すると言っていたが、買い物をして帰った後の16:00頃にようやく、今着いた…といってホテルに顔を出した。 ルクラであれからどれだけ待っていたのだろう…かわいそうすぎる~。
で、シルクでできたスカーフを旅が安全に終わったしるしに持ってきてくれて、首にかけてくれた。
うれしい!
なので、今晩の夕食に誘って18:30にロビー集合にして一旦別れた。
18:30、ホテルのロビーに彼と女性が一人(何と彼の彼女かと思いきや、妹だった)。
3人でアジアンフードレストラン。要するに何でもありのオープンスペースのレストランに行くことにして街を歩く。
僕は中華のhot suopとチキンとカシューナッツ炒め。
それと、今まで見たことの無い地ビール(カメラもメモも忘れて出かけたので、名前も映像もありませ~ん…残念)。
2時間ほど食事をして、お互いにける方向が違うので、お店の前で再開を祈ってお別れ…。
あ~、もう彼に会うことも無いのかな~…ちょっと感慨にふける。
ホテルに戻ってPCでメールチェック、と思ったらPCの調子がどうもよくない。
無線LANは機能していたのでgoogle携帯に活躍してもらってメールをチェック。
山での早寝早起きの習慣なのか、まだ21:00なのに睡魔が…。
まぁ、無理して起きている理由も無いので別途でテレビをつけて横になったら一瞬で寝てしまったようだ。
3時頃目が覚めたらテレビがついていた。 きっと最初のうちは無意識にも観ていたんだろなぁ~。
疲れが溜まってる。
2010年3月3日(ひな祭り)
天気は曇り。気温は不明だが、決して寒くは無い。
長袖一枚着ていればOKな感じ。
山の習慣?で5:00に目が覚めた。
この後帰国して困らないためにも、あえて2度寝(本当はしたいけど…)をあえてしない。時差調整開始!
このホテルも電力事情の関係で、ホットシャワーは朝6時~9時と夜6時~9時しか使えない。
それ以外の時間は水シャワー…(どうしても浴びたければね)。
カトマンズを数週間空けていただけで、電力供給ルールが一段と厳しくなっていて、
一日12時間の停電!ひぇ~。
これから夏に向けて気温がどんどん上昇してくるのに、ホテルなどはエアコンなど、どうするのだろう。
無駄な心配だが、きわめて深刻。
起きた勢いで無線LANでメールをチェック。
と言っても、部屋から無線ルータが離れていて機能しないため、やむなくPCのあるフロアまで移動…早朝の怪しい日本人。で、PCの横のソファでメールチェック。
10:00に部屋を出てフットマッサージへ(写真が汚くてすみません…)。
60分で600Rpはうれしい悲鳴!最高~に気持ちよくて、明日も来ようかと真剣に悩む。
その後Koren Restranでランチ。
ポークカルビのセットとビール。
ポークカルビのセットは相当のボリュームと多数の副菜。これで350Rp。
それに比べてビールが300Rpするのがいかにもアンバランスでネパールらしい。
ちなみにカトマンズでミネラルウォーターは1リットル20~30Rp。
ナムチェ(3500M)で100Rp、ゴラプチェップ(5200M)で350Rpだった。
お土産店などを物色して15:00に部屋に戻る。
相変わらず停電中…
することも無いので、いよいよ帰国に向けて荷作り開始。
リュックに入れるもの、買ったばかりのWater Proof Bagに入れるものの仕分けに以外に悩む。
普段は結構テキパキパッキングするほうなのだが。
そうそう、思い出した。
昼頃に携帯の国際電話で、会社宛にひな祭り寿司を届けてくれた「やました」(常連のすし屋)にお礼の電話をした。店長(社長)は生まれて初めて国際電話を受けた!と緊張&驚きモード。
ある程度荷物の整理ができたところでTVでHBOなどで時間をつぶす。やることが無い。
実を言えば、王宮など観光地としての見所はあちこちにあるのだが、日本にいても皇居に行かない自分が、それを観て感動するわけもなく(というか、20年前の訪問時には行ったはず)…
夕食は日本食店では味に評判(地球の歩き方曰く)のふる里に行ってみた。
とんかつ定食を注文!
味は確かにいけている…が、とんかつのサイズが極めて小さい(日本の半分くらい)。
ボリュームの無さに点数は80点と言ったところかな。
ビールは日本食店なのでアサヒスーパードライ! 全部で850Rp程度だった。
日本食、日本のビールはやはり高い。
ちなみに為替レートは日々しっかり変動していて、写真のイメージ。
夕食後街をぶらぶら。
この街はある意味歓楽街でもあるわけで、とこどころで写真のような怪しげなBar?の看板を
目にする。中に入ることは無かったけれど、おそらくぼられる心配も少ないし、それほど過激な?ものなどは思えない(想像)。
気に入った山の写真のマグネットがあったので、お土産用にゲット!で、その店の路地の奥になにやら良さげなBarを発見。早速探検も兼ね入店。
いかがわしげなBarもいくつか見つけてはいたが、ここはそんな店ではないようだ。
オリジナルカクテル「40,000 1/2ft. Blue」なるカクテルをオーダー。
40000フィートって、高度12000Mくらいだけど、何の意味があるんだろう??
結局店員には聞かなかったけど、とっても甘い女性向きなカクテルだった。
一杯だけ頂いて退散。ホテルに戻ってまた少し荷物整理の続きをする。
新規購入のバッグはきわめてキャパが大きくてものすごく整理しやすくて超助かる。
やっぱり買ってよかった!
2010年3月4日
4:00起床。
同時に停電開始(ムッ!)で、午後4時まで停電は続く。
本当にこの国のビジネスは成り立つのだろうか??
昼間の12時間停電なんて…日本で(東京で)起きたら、世界金融パニック間違いなし。
なので、このブログのためのメモもヘッドライト(役に立つ)を使って書いている。
たいていの部屋には充電型の非常灯(このホテルは空き部屋のドアがいつも開いているので、すでにこのホテルの部屋の事情通…)が置いてあるのに、この部屋にはない!
しかも言い忘れたが、この部屋にはバスタブは無い!シャワーのみ。 泊るごとに払っている値段は同じなのに、何でこの差?? 不満。日本人にとってはバスタブ有り無しは大きな問題だよね。
だって、エベレストに向かう前に泊った部屋にはあったんだよ~!
4:00ともなると鶏があちこちで朝の第一声を上げている。
人間的にはまだまだ深夜?だが、彼らにとってはすでに朝。
正直言って、「うるさい」。が、自分はもうすでに起きているので気にはならないけど…。他のゲストが気の毒。
今日で(と言ってもフライトは23:30発)この国ともお別れだ。
長かったような、でも、終わってみればやはりあっという間だったかな。
合計で18日間山に滞在し、そのほかは移動と急速の4週間だった。
街は20年前に比べると格段に建物、店の数が激増した。
車、バイクが増え、人力三輪車の姿は大幅に減った気がする。
20年の帰還に発展したのか?と問われると残念ながらNOである。
交通ルールを徹底し、事故防止のために日本が無償援助した信号機はことごとく機能しておらず、
都市部であっても建物はレンガを積んでコンクリートを吹き付けただけ。都市以外はレンガの代わりに石を積み上げただけが基本。地震が合う国だけにきわめて不安。
20年前の訪問時の印象は「日本から30年遅れている感じかなぁ~」だったが、今回の印象は単にそれに20年が足されただけで「50年遅れてる…」と言わざるをえない。
こんな国があってこそ、「世界は広い」ということになるのだろうか。
実際にガイドやエージェントのスタッフに聞いてみると、政治が腐敗しきっていて、各国からのODAの資金援助のほとんどは正規に利用されることはまれで、一部の政治家の懐に入ることになるという。
あくまでも一般市民の声だけど。
でも、確かに同との舗装状態は20年前となんら変化はないし、電力供給の問題などはかえって悪化しているくらいだ。あながちチミンの声に間違いは無いのかもしれない。
数年前のクーデターがどのように作用したのかはまったく無知が故わからないが、とにかく資金援助が有効に活用され、市民生活と市民の意識が変ってゆくことを、帰国を前にせつに期待する。
6:30に最後の朝食をとりにダイニングに行った。
昨日と違ってバイキングではなく(昨日は日本からの学生ボランティア団体らしき大勢がいたためだろう)、オーダー形式になっていた。普段はこうなのだと思う。
学生のボランティア団体は何の目的のボランティアだったから知る由もないが、昨日の朝9:30頃にピーピーキャーキャー言いながら大きなスーツケースを転がして帰国していった。バンコク経由で帰国するような声が聞こえたが、ボランティアに来たと言うより、見た目は完全に親のすねをかじった学生の団体旅行。
ボランティア活動自体には敬意を表したいが、やはり日本人のモラルと言うものについて考えさせられる。
先進国のエゴで「協力してやっている」的意識が無いとは言い切れないのは無いだろうか。
ボランティアと言う体のいい言葉を利用して、結局観光に近い滞在をし、実質なんの貢献にもならずに数日、数週間、数ヶ月の日々を送ったのではないかと、彼らのロビーでの行動などを伺う限り、そういったうがった見方を間違いかもしれないが考えざるを得ない。
どんな形にせよ、ぜひボランティアで活動する諸氏には、現地の人々の役に立つ、手助けとなる活動を実施して欲しいと切に願う。 そういう僕は単なるトレッカーとして外貨を落としてゆくことしかできないが…
昼前にタイ式マッサージ90分、1600RPに行ってみた。(まだ、マッサージかよ??)
女性が旅先でエステサロンにいくらでも行きたくなる気持ちがわかっるきがしてきた(ちょっと違うかなぁ~)。
リフレクソロジーから全身へとマッサージへとマッサージしてくれるのだが、広告にあるほどのプロっぽさが無く、なんだかまったく持って不完全燃焼。1600Rpは正直高いし、その前に、「タイ式マッサージ」になってない!
不完全燃焼を癒すべく、同じ通り沿いにある日本食「一太」という怪しげではあるがビルの2階にある店に突入。
客は誰もいないし、店も停電で暗い。「はずしたかな??」と一抹の不安…
勇気をだして親子丼(何の親子丼?が出てくるだろうか - 考えすぎ?)
出てきた親子丼はまったく持って可も無く、不可も無い、スタンダードな親子丼。「疑ってごめんね、店長」。
食後店の下の山岳用品店を何の気も無くウィンドウショッピングしていたら、セール(いつものクセに…)のオーバーパンツ(冬山や雨天時に普段のパンツの上に履く風雨よけパンツ)を発見。色は赤に黒のラインで見た目は個人的に好みにぴったり。The North Faceとあるが、おそらく偽物だろう。それでも一応GoreTexのラベルが貼られている。一部に汚れがあるので、もしかすると不良の流れ物…で、本物には違いないかも!と、1500Rpを1300Rpに値切ってゲット。 あ~、また買い物をしてしまった…。
でも、色目もいいし、新品には違いないので、帰国の際はこれを履いて気分一新帰国しよう!
ところで、予断ではあるが、今回の旅で気がついたネパールにおける清涼飲料水について記しておこう。
基本の飲料は謂うまでも無くミネラルウォーター。 値段は前述の通り。
そしてジュース類となると、コカコーラ、ファンタオレンジ、スプライト。
このコカコーラ社の3品目がほぼ90%以上のシェアを誇っている。
カトマンズではビン一本(または缶)で50Rp前後。店によってまばら…
ナムチェで250Rp、ゴラプチェップで350Rp。
ビールは地ビールが3種と輸入品でカールスバーグ、サンミゲル、ターボグ。それと、一部の店でアサヒスーパードライ。キリンは結局見かけることは無かった。一番搾り…、あればいいのに。
清涼飲料ではないが、地元の人は基本的にブラックティーかネパールティー(ミルクティー)いずれもホットを飲む。他に、今回大ファンになったラキシー(米の焼酎のような酒)をお湯で割って好んで飲む。グラス一杯30Rp程度かな。
さて、話は帰国に向けたパッキングに戻ります。
ホテルのランドリーに出していた洗濯物は無事帰ってきた。(ホッ)
が、…トレッキングパンツなどの汚れなどまったくと言って良いほど落ちていない。
トレッキングパンツ兼普段着パンツは計2枚持ってきているが、選択に出していないほうは汚れたまま履き続けている。そこで上述の新規購入パンツがやはり帰国用のパンツとして再決定された。買ってよかった~。
この汚いパンツでは、ちょっとビジネスクラスへの搭乗は気が引ける。
Rpは原則両替した全体の15%までしか両替の戻し(USDやJPY)できないルールになっている。
へんてこなルールだが、これがネパールの外為法。
よって、こまめにこれまでも両替を繰り返してきたが、それでも1500Rpほど17:00現在残存している。
夕食に1000Rpもあれあ十分だし、1500RpをJPYに戻したところで1700円程度。
そこで、この1500Rpの効率的な利用法を(ちなみに空港まではエージェントのお迎えサービスがあるのでタクシー代はいらない)考えた末、またThe North Faceの正規代理店に再訪!
スポーツ用スリーブシャツ850Rpを500Rpの現金と残りをクレジットカード払いにして、夕食代1000Rpの現金を残す。 これで、夕食で発生するお釣りはお土産に回ることになる。両替するほどの額ではなくなる。
最後の夕食は繁華街(タメル)のオープンカフェでターキーサンドイッチ(食べ終わったらケチャップの中でハエが死んでた…。クレームだけはしたけど、別にお金を返せとは言わなかった)とローカルビールの「ネパールアイス」。
総額約700RP。 残はおよそ300Rpだ。完璧な感じ!
ホテルに戻って速攻でシャワーを浴びて、最後までパッキングされていなかった洗面道具を収納し、出発準備完了。
荷物が多いので、リュックとWater Proof Bagはチェックインし、成田から宅配することを前提にできるだけ出し入れの無いようにパッキングにした。何しろ成田の到着ロビーで大風呂敷を広げて荷物を整理しているあの格好の悪さだけは避けたい。よって、本当に自宅まで必要なもののみ小型の機内持ち込み用リュックに詰め込んだ。
われながら美しく決まった感じで満足(もちろん自己満足ですが…)。
最終的に小さいリュックだけで手ぶらに近い状態ではあるが、香港の空港で購入しなければならない会社のお土産や頼まれ物は将来的に手提げとなることは覚悟。
20:00に時間通りPick upがやってきた。 ドライバーと、エージェントのスタッフが迎えに来た。
エージェントのスタッフは空港には行かないらしいけど。ずいぶん手厚いサービスのエージェントだ。
選んだ自分にこれまた満足。 彼もまた旅の安全な終わりを祈念してシルクのスカーフを僕の首に巻いてくれた。
ありがとう。
チェックアウトの際、クリーニング代を440Rp請求され、クレジットカードを提示したら、金額が低いから現金で払ってくれと言い返された。
職業柄?金額の大小でクレジット払いを断るのはルール違反だし、納得いかない。そもそも440Rpなどもう持っていない。
やむなくインプリンターで処理しようとしていると、エージェントのスタッフが申し訳なさそうに…
「あの~、ルクラで一泊延泊になった分、カトマンズのホテルの滞在日数が減った分の差額を米ドルで僕にくれた。 そうだ、これで米ドルで払える。 フロントのスタッフも米ドルでウェルカム!!と笑顔に変り、万事旨く話がまとまった。
では早速空港へ向かおう!
QICは思った以上にスムーズで、あっという間にビジネスラウンジへ。
これといって褒め称えられるレベルのラウンジではないが、軽食と飲み物、必要以上に広スペースにソファーが整然と並んでいる。
ビールを飲んで出発を待つ…。 と、天井でなにやらガリガリ、パタパタ音がする。
おそらく工事?いや、音の小ささから言ってねずみ。
案の定、10分もしないうちに僕の目前をねずみが走りぬけた!ゲッ! ねずみ自体に驚いたというよりは、予期せぬ突然のゲストに驚いた感じ。すぐにラウンジの担当者に伝えたが、彼らもソファーの下を覗いたり、天井を見上げたり、あまり打つ手が無い感じ。 まぁ、僕はもうじきここを離れるからいいけれど、今後のことも考えて、ネズミ捕りか衛生管理はしっかりするべきだろう。 あくまでも期待と希望。 結局彼らは何の対策もしないだろうけどね(笑)
帰りはバングラディッシュのダッカ経由香港、乗り換えて成田へ。往きの経路をなぞっ帰る。
まずはダッカまで60分のフライト。乗客は機体のキャパシティーの5分の1程度。ガラガラ。
60分の南東へのフライトの後、ダッカに到着。 往きと同じでドアが開くと同時に熱風と蚊が大量に流れ込んでくる。学習が足らない自分を恨むが、早速はだしの足先を何箇所か刺される。
バングラの蚊。 やはり恐ろしい…熱など出ませんように…
ダッカ発は日が変って現地午前1時。ガラガラだった機体がこの地でほぼ満席に膨れ上がった。
バングラ恐るべし。 香港とのつながりがそんなに強いのか、他にフライトが無く、香港を経由して各地へ向かうのか、それぞれの旅人の目的は知り得ない。 とにかく満席。
2010年3月5日
7:06定刻より約45分早く香港着(定刻は7:50)。
トランジットの手続きを済ませ、出発階へ。
会社へのお土産、各種頼まれ物をduty freeで物色。
以外に時間もかかるし、しかも空港が広い分、店から店の移動に時間もかかるが、寝不足の体にこたえる。
ようやくすべてのミッション?をこなしビジネスラウンジへ。
軽食を飲茶とビールで済ませ、出発30分前に登場ゲートへ向かう。
ゲートまでは相当の距離があるので、着いたときにはすでにボーディングが始まっていた。
ビジネス用の専用ゲートで機内へ向かう。
今となってチケットを見たら、23A…ゲッ、窓側…短いフライトだからあきらめ気分だが、正直通路側が欲しかった。
が、乗り込んだ機体は最新のB-777。ビジネスはシートが斜め配列で全席通路対応!良かった~!!というか、ラッキ~!!
成田までの飛行時間は冬の強いジェット気流に後押しされてたったの3.5時間。定刻より30分以上早く着く予定。
こんな短いフライトでも、ウェルカムシャンパン、コース料理、飲み物、デザートサービス、機内免税品販売と、キャビンクルーは忙しい。
15:06成田に着陸。
税関で珍しく免税品の中身について追及され、かつ中身のチェックをされた。しかも一品ずつ全部。
どう見てもヒゲ面のリュックを持った山帰り男。免税枠を超える立派な免税品などあろうはずも無い。
それでも彼女(女性税関職員だった)には何かが引っかかったのだろう。職務に敬服。
ようやく開放されて到着ロビーにそそくさと脱出!
目指せ宅配業者! マイルが溜まるのでいつも使っているABC宅配に大きなリュックとWater Proof Back、それとそれらを引きずるカートの3品を預ける。もちろん短時間で会社宛のお土産など、香港でゲットした荷物はWater Proof Backの上部に押し込む。これでほぼ手ぶらで地裁リュックのみ。
続いて地下に下りて次の成田エクスプレス(渋谷停車)のチケットを押さえ、いざ渋谷へ!
え?自宅じゃないの???
待ちに待ったお寿司を食べずして帰るわけには行かない!
時間が早く渋谷に着きすぎたのでカプセルホテルの入浴サービス(1000円で一時間)でサウナと大きな湯船で旅の疲れと汚れを落とし、いざ行きつけのすし屋へ!!
長い旅が(短かったような)ついに終わった。
長文を飽きずに読んでくれた読者の皆さんと、この旅と休暇に協力してくれたすべての皆さんに、末筆ながら心から御礼を申し上げる。
旅人 N8259T